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たかが一人、されど一人

未来の車 

2015年10月29日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

認知症を自覚した訳でもないが、可能性を心配して運転資格を放棄してから早いもので5年経ってしまった。昨日の報道によると、そう遠くない将来には手放しで運転できる自動車が開発されるそうだ。仮に明日その車が実現しても、小生には無縁のものである。むしろ昔、自転車に乗れるようになって暫く後に、恐る恐る片手をハンドルから放し、更に暫く経ってから両手を放しても倒れなかった時の喜びが懐かしく思い出す程度のことだけである。しかし住む場所などの環境によっては、そう暢気な話では済まない人も沢山いるだろう。皮肉なことだが、昨日は宮崎市で悲惨な交通事故が起きた。運転していたのが73歳の方だったそうで、持病の癲癇に加えて数日前には認知症との診断がされたばかりとのこと。事故の被害者は浮かばれないだろうが、癲癇持ちや認知症の患者から運転資格を取り上げるのは容易であるまい。そう遠くない将来と書いたが、早いとこ自動操縦の自動車を開発して、資格が無くても車の運転ができるようにしてほしいものだ。このところ個人的には無関係な事柄にせよ、科学技術の進歩が社会に多くの恩恵をもたらしていることは喜ばしいのだろう。しかし一方で偽装だとかインチキ臭い話が余りにも多く湧いてきているように思えてならぬ。科学技術の先進国ドイツの1流自動車メーカーでさえすることだから、我が国の大企業、天下の「東芝」が決算を誤魔化すなんてことは仕方ないのか。ゼネコン然りだ。もっとも土建業のお歴々に言わせると、昔から業界の方は、ご自分がお造りになった橋や道路は怖くて使わないとしたものらしい。科学技術の進歩や発展が、人間に対する信用を減じているとすれば、科学技術の進歩も余り有難がってばかりはいられない。

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