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平成の虚無僧一路の日記

初代 荒木竹翁 

2010年12月24日 外部ブログ記事
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『故・三世荒木古童 没後50年記念誌』(昭和61年、
古童会発行)より。


琴古流の名跡「荒木古童」の初代は、文政4年
(1823)〜明治41年(1908)、幕末から明治にかけて
尺八一筋で生きた。元近江水口藩士荒木亀三郎の
三男で「半三郎」。14歳から尺八を学び、虚無僧
行脚中に虚無僧の豊田古童に出会い、教えを乞うた。

そして、入門の許しを得て、古童宅を訪ねたものの、
「今日はダメだ。明日また来い」と。門前払いされる
こと2カ月。その熱意が認められて、ようやく門人と
なった。

そして、豊田古童の死後、荒木半三郎は「古童」の
名を襲名する。よって「古童」としては二代目。
そして「古童」の名は、明治32年、長男の真之助に
譲り、「竹翁」と号す。

「荒木竹翁」は 87歳で亡くなるまで、尺八を吹き
続けた。70歳で総入れ歯になっても、80歳までは
若者も到底及ばぬ吹奏だったという。

「その音量は、障子がビリビリと震えた」といい、
また「息継ぎを全く感じさせず、長い息を美しく、
途切れさせずに吹いた」という。

竹翁は「至勢というものは、日々の訓練によって、
魔術師と同じように他人をごまかす術を自ら会得
されるものである。秀れた魔術師になれたら、その
芸は本物だ」と。

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