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平成の虚無僧一路の日記

「泰西王侯騎馬図屏風」神戸市博物館への経緯 

2015年08月23日 外部ブログ記事
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『泰西王侯騎馬図屏風』。会津鶴ヶ城の天守閣に秘蔵されていたもので、
元は八曲一双の大作だったが、現在、神戸市立博物館と東京のサントリー
美術館に 四曲一双ずつ別々に保管されている。いずれも、国指定重要
文化財に指定。
 
以前は、「鶴ヶ城落城の時に 長州の前原一誠によって略奪された」などと
言われていた。とんでもない間違い。
落城後、松平容保は東京に移送されたが、その時の持参品の中に
はいっていた。屏風から切り離され、巻かれた状態だったという。
明治になって、前原一誠は、奥平謙輔とともに、会津藩の再興に尽力して
くれ、会津藩士は下北に移住し、「斗南藩」として再興することになった。
その恩情に感謝して、明治三年、お礼にと、半分の四曲一双を前原氏に
贈ったのだった。
「略奪した」など、前原氏には恩を仇で返すような大変失礼なことをした。
その前原一誠は、明治9年、奥平謙輔とともに萩の乱(不平士族の反乱)を起こし、
捕えられて処刑された。この「王侯騎馬図」は、神戸の富豪「池永」氏が、
昭和初年に、私財を投じて「池永美術館」を設立した際、前原一誠の遺族から
贈られたとのこと。池永氏は家屋敷を売って、美術品を買い集め、戦後は
美術館ごと神戸市に寄贈された由。
 
 

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