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平成の虚無僧一路の日記

『泰西王侯騎馬図』 サントリー美術館への経緯 

2015年08月23日 外部ブログ記事
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会津鶴ヶ城の天守閣にあったという『泰西王侯騎馬図屏風』。
八曲一双のうち半分は、長州藩士「前原一誠」の遺族から、池永氏へ、
そして現在、「神戸市立南蛮博物館」の所蔵するところとなっている。 
 
では、残る 4曲一双は?
松平家が所有していたが、実は、戦争中、一時私の家に保管されていた。
叔父「牧原源一郎」は、福島県選出の国会議員として、東京の目黒区に
家を構えていた。そして、どういういきさつか、松平容保のご子孫から 
この襖絵を預かっていたようだ。しかし、ある日、「東京では危ないから、
疎開すると、運び出され、そのまま行へ不明になってしまった」と
叔父が語っていたのを 聞いたことがある。
そして、昭和30年代の末、 西宮市の藤井氏が所有していたのを
サントリー美術館が購入した。そのとき、「出所を明かさないという条件で、
某氏から買取った」というような説明がなされていたことを、私は記憶している。
殿様から預かった品が、持ち出されて  行くへ不明になったとあれば、
世が世なら切腹もの。この経緯は、フィクションで推理小説にでもしたいと
思っていたが、そのことを父に話すと、「余計なことを書くな」と父にひどく
叱られた。父は「戦後は、殿様も(生活に)苦労されていたから、(極秘に)
手放した(売った)のだろう」と。
30年ほど前、東京の上野精養軒で毎年開催される「会津会」に 私が
初めて出席したときのこと。松平の殿様(保定氏)も臨席されていて、
後方の末席に座っていた私のところまで来られ、「牧原さんには、大変
お世話になりました」と、初対面の私に丁重に頭を下げられた。
私はびっくり、大変恐縮した。そのとき この 『泰西王侯騎馬図』のことが
脳裏をかすめた。

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