メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

戦争体験を聞く 

2015年08月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



8/15 終戦が明暗を分けた。私の母などは「戦争に負けて良かった。
軍部の横暴も無くなり、平和で自由な日本になった」と。しかし、
朝起き会の演談で、林さんの体験を聞いて絶句。
「父親はソ連に抑留され、母は幼い三人の子を連れて満州から
ハルピンまで逃避行。そして力尽き、母も妹も弟も死んでしまった。
一人残された私は9歳。親切なおじさんに連れられて、日本に
引き上げ、名古屋の親戚の家まで送り届けてもらった」と。
そして戦後も悲惨な生活。聞くに堪えない。
もう一人の林さんは、「豊田の郊外に疎開していた時のこと。
B29が撃墜され、搭乗していた米兵が落下傘で降下。現場に
駆けつけてみると、村人たちが竹槍でもって襲い、皆殺しにした」と。
この事件はNHKでドラマにもなった。『最後の戦犯』 。戦後、
上官の命令で殺害した兵隊が捕虜虐殺で戦犯に問われた話。
 
もうひとつのドラマの当時者が大野さん。NHK『15歳の志願兵』。
旧制愛知一中(現旭丘)の全校生徒700人が、教師の叱咤激励に
奮い立ち、全員が特攻隊に志願した。愛知一中は現在の旭丘高校。東大医学部進学率No.1を誇る
エリート校。当時も親たちは「末は博士か大臣か」と期待していた。
それが、「特攻に行く」と言い出した子供たちに、親たちは困惑した。
朝日新聞も「愛知一中の快挙。皆も続け」と煽った。この記事を見たのが、
愛知一中の卒業生「成瀬謙治」。愛知一中の校長あてに手紙を送った。
「全校生徒が予科練志願は無意味だ。生徒の能力に応じた道に
進ませることが、本当に国に報いることである。死ぬのは自分一人で
たくさん」と書き残して、特攻魚雷回天で散華した。
この勇気ある手紙に 親たちは胸をなでおろし、大半が誓約書を
取り下げた。でも14名が特攻隊に志願し、5人が死んだ。
大野さんは、大阪の陸軍幼年学校に入る。幼年学校は「特攻の候補生」
と教えられる。そして終戦。8月15日。「米軍が上陸してきたら、お前たちは
真っ先に殺されるから」と、即 解散となり名古屋に帰された。
大阪から名古屋までの汽車は、海軍さんの引き揚げ者で満杯。
缶詰などの食料をたくさん持っていたので うらやましかった。
帰宅しても、名古屋市街は焼け野原。母親は奇跡的に助かり、
稲沢の実家に身を寄せていた。そこへ行って数日後、「即、大阪に戻れ」
との電報。また大阪に行き、学校の残務整理をさせられた。
今朝のモーニングは、戦時の生々しい体験談に、耳を傾けた。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ