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平成の虚無僧一路の日記

日露戦争の勝利が太平洋戦争の敗北を招いた 

2015年08月17日 外部ブログ記事
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「日露戦争」は 国家予算の7倍もの戦費を要した。日本がロシアに勝利したのは、ロシアのバルチック艦隊より優秀な、当時最新鋭の艦船や大砲を調達していたからだった。
そのためには、外国での公債発行などでの資金調達が必要だった。そうした経済面での話は今まで あまり論じられてこなかった。千代田生命は明治37年、日露戦争開戦の年に創業された。当時、相前後して数十社もの保険会社が設立されたが、実は、日露戦争の戦費調達のための国策だったのだ。「30年満期養老保険」は、30年という長期のため、契約者が預けた保険料は、国に貸付けられていたのだ。さて、国家予算の7倍を投じてまで ロシアと戦らなければならなかった理由は、「ロシアの南下、満州や朝鮮半島の植民地化を防ぐためだった。日露戦争が無かったら、朝鮮半島はロシアの植民地になっていた。もし日露戦争で日本がロシアに負けていたら、日本もロシアの属国になりかねなかった。それだけは なんとしても食い止めたいという明治人の決死の覚悟が勝利を呼んだ。しかし「太平洋戦争の敗因は、日露戦争で勝利したこと」といわれるように、日本は日露戦争の勝利に酔いしれて、そこから一歩も向上しなかった。日本は日露戦争のままの軍装備でアメリカと戦ったのだ。日本兵に与えられた銃は 明治38年の「三八銃」。その使い道は、二百三高地突撃の時と同じく、銃剣を付けて“槍”として使われるものだったのだ。マッカーサーも言う。「日露戦争の時の日本軍の参謀はみな優秀だったが、東京裁判で目にした日本軍の幹部は みな小者だった」と。福沢諭吉も云っている。「個人としては優秀でも、組織人となると愚者になる」と。日本軍はもう 愚者グシャだった。

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