メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

八十代万歳!(旧七十代万歳)

70年前のあの日も暑かった 

2015年08月15日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



敗戦を知った日、私は女学校から動員されていた軍需工場の焼け跡整理で、気管支炎を患い、欠勤していました。
玉音放送を聞いて、「なーんだ負けちゃったのか」14歳になったばかりの私は、ポカーンとしていました。
「これからはちゃんと配給来るでしょうね」
ひもじさが何よりの心配事。アメリカ兵が進駐して来たって気にも止めませんでした。

ところが、食糧難は戦後の方が酷かったし、物価は朝に夕に上がり続けて、郵便局の個人年金にに預けてあった父の遺産は、1ヶ月分で菓子パン一個しか買えなくなってあっさり消滅。私は女学校をやめました。
就職もできず、道端で物売りなどしていました。
住まいも焼かれず、誰も死なず、東京では、幸運な家だったのに、それでも暮らしには困窮しました。

戦争なんて勝っても負けても、悲劇しか生まないもの。二度と起こしてはいけない。
首相の談話がもしも彼の本心であったなら、なんの心配もないのだけれど、彼は、心にもないことを言わされたのだから、まだまだこの先が心配です。

「96歳の遺言」収録の時にお知り合いになった、大和田瑞穂さんが、私と同年代の方々の、工場への動員の記録を、電子化されて、96歳の遺言のページからも、すべて読めるようになりました。
http://sensounokioku.jimdo.com/link/ ここから直接読めます。
都立武蔵高等女学校から空襲下の飛行機工場に動員された記録です。
私もこれから読んでみます。


「96歳の遺言 戦争だけはやっちゃダメ」電子絵本と、朗読動画のYouTubeには、こちらから行ってください。http://96sainoyuigon.jimdo.com
iPadの調子が悪く、リンク貼れなくてすみません。

敗戦の記念日は、戦争の愚かさをしっかり学ぶ日にしたいです。
いろいろ探して、あの頃の記録をあれこれ読むつもりです。






ーーー
sideさんが、昨日のデモに参加され、今後の予定を書いておられます。
http://sidediscus.exblog.jp/23562151/

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ