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磯神社   呉市仁方 

2015年07月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

磯神社   呉市仁方


寛正四年(1463)室町幕府将軍、足利義政は、守護大名、大内教弘に命じ、伊予国の豪族河野道春を討つよう戸田浦の豪族白井氏に命じられた際、守護神として祀られたと言い伝えられています。
呉八景の内「安芸の小須磨」と呼ばれ神戸の須磨海岸に似ているそうです。
 


安芸灘大橋 下蒲刈島が見えます
呉八景の内「安芸の小須磨」と呼ばれ神戸の須磨海岸に似ているそうです。

入り口鳥居


ガスボンベ?





舟でお詣りができるよう、南の海岸に古い石の鳥居が建っています
















拝殿前の対















精悍な顔付き


















安政四年(1857)奉納
見る角度によって顔が違って見えます


































拝殿内









磯神社の日向松
天正二年に植えられた樹齢四百年超えのクロマツ
惜しくも昭和五十三年(1978)夏に渇水、台風
松くい虫の被害により枯死しやむなく伐採したそうです。


クロマツの残骸

本殿

精巧な細工がなされています





白井水軍碑

安芸国の白井氏は千葉氏の流れで瀬戸内海にその勢力を広げ、海賊として有名。
安芸守護・武田氏、のちには大内氏に仕えたが
陶隆房と結んで主君・大内義隆に叛した。


厳島の戦いで敗退後は 元就臣下の熊谷信直の姉が母親であった関係から元就に仕えることとなり、
毛利氏に帰属し小早川隆景の麾下に加わる。


さらに江戸時代に入ると萩藩大組士となった。
明治まで続いています。




舟形石手水

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