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たゆたえど、沈まず
ルンペン哲学
2015年07月24日
テーマ:テーマ無し
天声人語の書き写しを始めて早いもので2ヶ月がたった。
今日はこんな面白い記事だったのでご紹介します。
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ルンペン哲学
大阪のあいりん地区で、ある老人が焼死した。それを追跡したニュースに、人生の哀感を感じたのは筆者だけであろうか。わずかな持ち物の中で見つかった短大学長の名刺を頼りに、その人がおぼろげに浮かんでくる。
この学長さんが、「緒方寛」と名乗るこの老人と、ふと知り合ったのは、東京・銀座の水墨画展だった。東大の美学をでて、海軍大学で教え戦争中はスイスで暮らしたと、問わず語りに身の上話を始めた。漢詩や禅、ロシアのツルゲネフの詩について語り合った。ヘーゲルの『宗教哲学』の一節を、さらさらとドイツ語で書いたりした。
あいりん地区の宿帳には「津隈亮」で、東京・帝国ホテルの宿泊カードは「緒方寛、86歳」だった。遺体を見た学長さんは「あの人に間違いない」という。落魄の身で、過去の自分を飾りたい気持があったにしても、どんな経歴の人なのであろうか。そこには数奇な人生ドラマが秘められていたのかも知れないし、あるいは自分を劇化することが生きる支えだったかも知れない。
この冬は不景気で、求人がへり東京ではドヤを追い出された人たちが、駅の地下道に流れ込んでいると言う(『アサヒグラフ』3月21日号)。上野駅には「日本の新聞は偏向している」とマスコミ批判をやって、英字新聞しか読まない老人ルンペンがいたそうだ。銀座には、暇があると英会話を独習する者もいる。理由を聞かれると「外人に道を聞かれたとき、恥をかかない用意だよ」と答えるそうである。
地下街で、毎日、高等数学の本に熱中するルンペンもいる。「緒方」さんのような「教養派」が、東にも西にも、身元をかくしてひっそりと生きているのかも知れない。ルンペンとは、ドイツ語の「ボロ、クズ」から転じた。乞食は恥ずかしいが、ルンペンには哲学がある、という説もある。
『外来語辞典』(角川書店)によれば「ルンペンといわれて屈辱を感じる間は断じて理想的なルンペンではない」とあった。(59・3・15)
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皆さんいかがでしたか? さすが当代一と言われたコラムニスト深代惇郎さんの文章である。声を出して書き写している20分間がこの上なく充実した至福の時間である。
ルンペンという言葉を久しぶりに聞いた。そして私が物心ついてから青年になるまでこういうサムライがいたるところにいた。ルンペンの中にも、庶民の中にも、裕福な階層にも、いたるところにサムライがいた。
私が若い頃、大人たちは皆サムライだったとように思う。年を経たときにあんな大人になりたい、あんな風に生きていたい、そんな目指すモデルがたくさんいた。
いつの間にかそんなサムライもルンペンも姿を消してしまった。
知識社会になるにつれ大人は言い訳や理屈が幅を利かせ若い人たちがガッカリするような大人が増えた。そしてとうとう、ああなったらおしまいだ、ああはなりたくないと言われる大人ばかりになったように思う。世の中が乱れはサムライが減ったことと関係があるのではなかろうか。
屁理屈を制し、筋を通すサムライの再登場が望まれる。
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