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鯛の宮神社・第六潜水艇殉難之碑 呉 

2015年07月14日 外部ブログ記事
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鯛の宮神社・第六潜水艇殉難之碑 呉


創立年代は不詳。
文亀年間(1501−4)に満田氏が神田2所を寄進し社殿を造営と伝わる。
その後、広島領主福島正則によって神田が没収されるも
天和年間(1681−4)及び貞享年間(1684−8)に
仮殿造営。元文5年(1740)に社殿を再興。
鯛を献じて祈願をなすと所願成就すると伝えられた事から鯛宮と呼称されているという。

             石段


      展望はあまりよくない


     第六潜水艇殉難之碑と拝殿


      第六潜水艇殉難之碑
この碑は、明治四十五年(1911)4月15日に
山口県新湊沖で訓練中に第六潜水艇が沈没、
殉職した佐久間艇長以下13名を顕彰するため
大正元年に建立されました。


第6潜水艇は第7潜水艇とともに明治39年、川崎造船所で我が国で初めて建造された。
明治43年4月15日、山口県新湊沖で訓練中、事故のため沈没した。
その少し前、外国でも同様の事故があり、人間の醜い最期の様子が報道されていた。
海軍の首脳部の懸念をよそに、佐久間艇長以下14人の乗組員は各自の持ち場を守り、立派な最期を遂げており、海軍軍人の模範となった。
苦しい状況の中で佐久間艇長は遺書を残し、将来の潜水艦発展のために、沈没の原因および沈没後の処置をしるし、さらに部下の遺族への配慮を望むなど、死に直面してもいささかも冷静さを失なっていなかった。
その崇高な使命感は、国内はもとより海外の人々にも深い感銘を与えた。
大正元年、その遺徳を永久に記念するため、鯛乃宮神社境内に碑が建立されたが敗戦とともに荒廃、昭和34年の殉難50周年を期に、この碑が再建された



佐久間艇長遺言
小官の不注意により陛下の艇を沈め、部下を殺す、誠に申し訳 なし。     
されど艇員一同、死に至るまで皆よくその職を守り沈着に事をしょせり。



我れ等は国家のため職に斃(たお)れしといえども、ただただ遺憾(いかん)とする所は天下の士はこれを誤り、もって将来、潜水艇の発展に打撃をあたうるに至らざるよう憂うるにあり。



願わくば諸君益々勉励もってこの誤解なく
将来、潜水艇の発展研究に全力を尽くされん事を。
さすれば我れ等、一つも遺憾とするところなし。





「プロペラ」と「スルイスバルブ」が
納められています






       殉難之碑から拝殿


             拝殿


        
平成十三年3月24日の芸予地震で神社にも大きな被害が出ましたが、地元の努力により復興しました



       拝殿前の復刻狛犬
















   先代の型を踏襲した力強い狛犬です
















  台座には地震の時が刻まれています                 
    拝殿脇に先代が置かれています


台座から落下破損した吽形
見事に修繕されています  阿形は傷無し

















明治四十年(1907)  尾道石工 竹谷秀七



                               






大きな尾の構え型 愛媛型と云うブログもありますが尾道構え型と言いたいです。




















       拝殿内の奉納額








           本殿
       なかなか豪華な造りです


    木鼻は龍と虎?もしかして狼?


         狼ぽいです


側面


脇障子まであります

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