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月刊誌「創」と「走る爆弾娘」 

2015年07月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

今日は会社が休みだったのだけど、一日中家の中にいた。朝には、録画しておいたNHKドラマの「まれ」をまとめて見て、夕方は「人志松本のすべらない話」を見た。「すべらない話」では、出川哲郎の緊張しまくりの落ち着かない様子が面白かった。テレビを見ていないときは、ひさびさに買った月刊誌「創(つくる)」を読んでいた。その「創」8月号の中で、「菊池直子獄中手記 『走る爆弾娘』と呼ばれて」を読んだ。これが、けっこう面白かった。今年、43歳の菊地 直子は、オウム真理教の元信徒で、埼玉県出身。オウム真理教事件実行犯の1人として、警察庁特別指名手配被疑者に指定され、長期間逃亡していた。それにしても、『走る爆弾娘』というネーミングはすごいと関心する。一度聞いたら、忘れられない。爆弾娘というネーミングだけでも怖いのに、さらにそれが走ったら、なおさら怖い。菊池直子は高校では陸上部にはいっていた。3000mで11分23秒の記録をもつ。校内のマラソン大会では常に大差をつけて優勝、地区大会で上位入賞をはたしたこともあるという。1995年4月19日〜4月25日の5回にわたり、山梨県上九一色村の施設から東京都のアジトに爆発物の原料となる薬品類の運搬役をしたとされ、ここから『走る爆弾娘。』の異名をもつとの事。なお、第1審判決においては、爆発物の原料をはこんでいるという認識がなかったとして爆発物取締罰則違反罪の成立はみとめられていない。さて、その記事の内容。「菊池さんはサリンの生成には関与していないのではないか」と弁護士に言われた。接見室で弁護人の先生から言われたのは、2016年6月3日に逮捕されてから、それほど経っていないある日のこと。「えっ、そうなんですか」と、菊池直子は驚く。全国指名手配されて逃げているうちに、自分が地下鉄サリン事件で使われていたサリンの生成になんらかの形で関与してしまったのだろうと思い込んでいた。菊池に地下鉄サリン事件の殺人・殺人未遂容疑でが逮捕状が出たのが1955年5月16日。地下鉄サリン事件が起きたのは、同年の3月20日のこと。逮捕状が出る直前まで、菊池はオウム真理教の施設内で普通に生活をしていた。林泰雄との逃走が始まったのは、逮捕状が出た直後の5月18日のこと。「じゃあ、行こうか」と、林に声をかけられ、「どこにいくのかな?」と思いながら、彼と一緒にマンションを出たのが、17年にわたる逃走の始まりになったという。紆余曲折の17年の末、菊池はとうとう逮捕されてしまう。取調官に「地下鉄サリンの事件について、まだ何も話していないじゃないか!まだ話していない事があるだろう!」と、怒声を浴びせられる。「『何も話していない』と言うのなら、もう本当に何も話しません」そして菊池は二度と言葉を発することはなかった。菊池の両親は定期的に面会に来てくれていたが彼女は、面会の度に強い恐怖を感じていた。「いったい何がこんなに恐怖なのだろう?」そしてやっとある思考パターンに気づく。そのパターンとは、「話してもどうせわかってもらえない」「わかってもらえなくて傷つくだけ」、「だから最初から話さない」、もしくは「一度話してだめだったらすぐにあきらめてしまう」というものだった。そのことに気づいた時、初めて傷つくことを恐れずに自分の思っていることを相手に伝え」ようと思った。そう決意して面会したところ、それまでは全く伝わらなかったこちらの意思がすんなりと相手に伝わった。いったい何が起きたかと唖然としてしまったほどだという。菊池はこの体験を機に、自分の中で世界の見え方が徐々に変化してきた。この世の現実というのは、心が作りだしているのではないかと思うようになった。そこで初めて、三浦和義と同じことができるのではないかという思いが湧いてきた。三浦和義は、マスコミ相手に約500件もの裁判を起こし、そのほとんどに勝訴したという。『私はずっと「どうせわかってもらえない」と思いこんでいた。その思い込みが、犯人とされることに甘んじる結果につながっていたのではないか。このままでは誰も真実を報道してくれない。だったら自分から声をあげよう。必ずわかってもらえると信じた上で、きちんと説明すれば、きっと今の現実を変えることができる。』菊池はまず最初に週刊誌の記事を集め始めた。事実無根の記事ばかりで、その中でも特にひどかった『週刊新潮』『週刊文春』『週刊実話』の三誌に内容証明郵便を送った。(※内容証明郵便とは、「誰が、誰宛てに、いつ、どんな内容の手紙を出したのか」ということを郵便局(郵便事業株式会社)が公的に証明してくれる郵便(手紙))そして、今年の5月1日のこと。弁護人の先生が飛んできた。「菊池さんが内容証明を出したことが『週刊新潮』の記事になっているんですが・・・・・・」「週刊新潮」の記事には、「届かぬ被害者の言葉」という見出しのもとに「被害者の重い言葉を踏みにじる」などと書かれていた。菊池はそんなつもりはなく、事実を事実として報道してもらいたかっただけだという。この記事に菊池は落ち込んだが、結果的にこれがきっかけとなり、刑事裁判でお世話になっている先生に民事訴訟の代理人となってもらえる運びとなった。こうして菊池直子は新潮社を訴えることになったという。

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