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平成の虚無僧一路の日記

「七尾城」にコメント 

2010年12月09日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



12/ 5 のブログ 「七尾城」にコメントをいただいた。
七尾城については、全く無知でしたので、転載させて
いただきます。

「謙信は畠山家を滅ぼしていません。
畠山家を追放したのは、その家臣達(七人衆)です。
そして、自分達に都合良く、謙信に罪を擦り付けたい
家臣・長連龍父子が、長家家譜(記録)を書いたのです。

余りにも事実に反し、また余りにも無念なので、ぜひ
宜しければ、上杉側の記録(上杉家御文書や書状)を見て
下さい。そして、謙信が保護した畠山一族の記録も見て
下さい。
謙信が保護した畠山一族の子孫の、能登守護だった畠山
義続・次男の上条政繁(義綱の弟)と、七尾城を無血開城
させて保護した畠山義春(春王丸、又は、その弟)の事も
知って頂ければ幸いです。


Wiki-Pediaによると、確かに、次のように書かれている。

1577年(天正5年)に能登国に侵攻した上杉謙信に包囲
されるが、一年にわたって持ちこたえた。しかし、重臣
同士の対立の末に、若年の当主畠山春王丸が長続連、
遊佐続光、温井景隆らの対立を収めることができず、
最終的には遊佐続光の内応によって、長氏一族が
殺害され、同年9月13日に開城された(七尾城の戦い)。

私としては、会社勤めをしていた時の上司が「七尾」姓
だったので、「七尾氏」について調べているのだが、
「七尾城」とは関係ないようだ。

また、名古屋には「七尾天神社」があるが、これも
「七つの尾を持つ亀を祭った」ということで、七尾城
とは関係無い。

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