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平成の虚無僧一路の日記

日本は古代からフリーセックス 

2015年05月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



16世紀に日本に来た宣教師「ルイス・フロイス」が、日本の女性に
ついて、こんなふうに書いている。
「日本人は、処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても
結婚できる。また、意のままに いつでも離別する。妻は
そのことで名誉を失わないし、すぐ再婚できる。また、
しばしば 妻が夫を離別する。日本では、夫婦別々に
自分の財産を所有している。時には妻が夫に高利で
金を貸し付ける」と。
 
さらに、未婚の女性も既婚女性も、親や夫に断りなく
一日でも数日でも一人で好きなところに出かける自由を
もっている」とも。
後円融天皇の后が 足利義満の邸宅(金閣寺)に泊りにいって
一ヶ月も御所にもどらなかった。それで、後小松天皇は、
足利義満の子とも疑われている。義満が、自分は
後小松天皇の父親で「上皇」であると主張した根拠にも
なっている。
8代将軍「足利義政と日野富子」の時代。応仁の乱が起こり、
天皇も后も、主だった公家・女官はみな「室町の花の御所」に
閉じこもって、五年間もの間、一歩も門の外に出なかった。
庶民の疲弊など省みず、昼夜、后妃から下人まで酒池肉林の
乱交パーテイ。中世とはフリーセックス公然の時代だった。
一休も「妻に飽きて、少年を愛す」と公然と詩にしてる。
蜷川新右衛門の妻に横恋慕した話まで、江戸時代に創られている。
 
その慣習に留めを刺したのが、徳川2代将軍「秀忠」。
秀忠の妻は「お江与。彼は恐妻家であり、「一夫一婦制」を
守った。(「お江」に内緒で、腰元に産ませたのが、後の会津藩祖
保科正之だが・・・)。そして、娘「和子」を後水尾天皇の妃として
入内させるにあたり、風紀の乱れを理由に、万里小路 他、天皇
側近の公家6名を追放している。公家たちは「フリーセックスは
源氏物語以来の公家の風習なのに」とぼやいたとか。
かくして、江戸幕府によって、儒教的な倫理観が、日本人に強制
されることととあいなった。しかし、日本人の古来の性(サガ)。
今日の風紀の乱れは、フロイスが驚いたように、世界の注目する
ところとなっている。
(追記)
ネット上で、ある外人が「日本女性はイエローキャブ(タクシー)。
白人が言い寄れば、カンタンに乗せてくれる」と、ガイドブックに
書いて問題になっている。

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