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平成の虚無僧一路の日記

『とはずがたり』に暮露(ぼろ)が 

2015年05月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



『とはずがたり(問わず語り)』は、鎌倉時代の中頃、後深草院に
仕えた女房「二条」が14歳(1271年)から49歳(1306年)までのことを
綴った日記。後深草院や恋人との関係、宮中行事。尼となってから
出かけた旅の記録などが綴られている。その旅日記の部分。
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ある時は僧坊に留まり、ある時は男の中に交わる。情けを慕ふ所には
あまたの夜を重ね、日数を重ねてはべれば、あやしみ申す人(噂された人)
都にも田舎にもその数はべりしかども、修行者といひ、梵論梵論などと
申す風情の者に行き合ひなどして、心のほかなる契りを結ぶ例(ためし)も
はべるとかや聞けども、さるべき契りもはべらば、(中略) 空しき野辺に
草を枕として明かす夜な夜なあり」
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「梵論」については『徒然草』に説明がある。「その昔はなかったが
最近登場してきた。ぼろんじ、梵字、漢字など言ひける者、世を捨て
たるに似て、我執深く、仏道を願うに似て、闘諍をこととす」と。
宿川原で「白梵字」と「色おし坊」という「暮露(ぼろ)」が争い、二人とも
死ぬまで戦ったという。
というわけで、鎌倉時代に、梵字、漢字、梵論梵論(ぼろんぼろん)、
暮露が登場してきた、その暮露は闘争を好む乱暴者だったようだ。
 
そこで、『とはずがたり』では、「女(比丘尼)の一人旅で、暮露に
襲われることもなかった」と云っているのだが、これは裏返すと、
鎌倉時代でも、女の一人旅はあり、道で行きかう人と一夜を共に
することは、ごく自然の営みだったと読み取れる。
 
「網野善彦」著 『日本の歴史をよみなおす』では、そのことを
はっきりと論じている。
フロイスが指摘するように「尼僧院や比丘尼の寺が売春宿に
なっている。歩き遍路、遍歴する尼は娼婦である」と。
しかし、外国人、また現代人から見れば、一人歩きの女性を
女捕(めとる=レイプする)ことは由々しきことだが、鎌倉、室町時代は、
それほどの罪悪感はなく、「旅の恥は掻き捨て、袖振り合うも他生の縁、
旅は道連れ、世は情け」で、天下公認。特に修行僧や暮露による
レイプは大目に見られ、許される寛大さがあった。
歌垣もそうだが、神社、仏閣でのお籠りは、男女共に、そのような
自由を楽しむ場であった。「伊勢参り」なども、旅の楽しみが目的で
大流行したと。
日本人の倫理観を見直すべき問題でござる。
 

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