メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

北軽井沢 虹の街 爽やかな風

立ち止まって考える経済&「ピケティ」の置き土産 

2015年03月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し







新聞ネタだが、今まさに私が考えていることが載っていた。
 
評論家・稲垣真澄氏の時評論壇「立ち止まって考える経済」では、次のように言っている。
 
たしかにコマ(独楽)は支えなしに、一点で立つ。回転の速いときにはほとんど静止して見える。その代り、勢いがなくなればすぐに倒れる。いつも忙しく動き続けるのがコマの運命だ。さしずめ常に成長、拡大、前進、開発・・・を目指さなければならない経済は、コマのようなものか。人間は経済を無視して生きてゆかれないことは論をまたないが、時には立ち止まって、経済が実は落ち着きに欠けるコマに似ていることをかみしめる必要があるのではないか。人々の生活を一変させるようなイノベーション(技術革新)は、このところずっと出ていない。液晶テレビが4Kに、DVD録画がブルーレイになったところで大したことはない。もし新たな成長と拡大が望めないなら、今あるものに自足する態度を身につけるしかない。飛行機や新幹線利用で数分の時間短縮をし、パソコンをにらんだ株売買で多少の利益をあげたところで、趣味に打ち込み、友人たちと談笑しながらおいしいものを味わう幸福感にはかなわないはずだ。時代の価値観は「より速く、より遠くへ、より合理的に」から、すでに「よりゆっくりと、より近くへ、より寛容に」と変わり、経済だけが置いてきぼりなのかもしれない。近代から近代以前(中世)へ。
 
京都大学教授・佐伯啓思氏が語る「ピケティ」の置き土産を見てみると。
 
フランス人経済学者の書いた「21世紀の資本」、日頃このような書物にまったく無縁な人を含めて、どこか愛嬌のある響きを持ったこの名前は、日本のかなりの層にまで拡散したようである。所得格差や資産格差が、今日の先進国において、急激に拡大しつつある、という彼の主張は、特に衝撃的というわけではない。多くの人が持っている印象であろう。その意味では、この書物は、特に「すごい」ことを論じているわけではない。おまけに、かくも格差が拡大するその理論的説明や理由の詳細はほとんど提示されていない、となれば、どうしてかくも大騒ぎをする必要があるのか、という気にもなるのだ。ところが考えてみれば、この書物は、実は、大変に重要なことを暗示している。しかも、それはほとんど指摘されていないのである。それは次のようなことだ。
今日の格差拡大の背景には、資本の利潤率が経済成長率よりも高い、という統計的事実がある、とピケティは主張する。利潤率が高くなるのは、ひとつは金融資産からの収益率が高いからであり、もうひとつは、新たなイノベーションによって高付加価値の商品が作り出されるからであろう。ということは何を意味するのか。ピケティの統計からすると、新たなイノベーションが決して高い経済成長を生み出していない、ということになる。これは相当にショッキングなことではなかろうか。1990年代以降、次々と新たなイノベーションが行われた。IT革命、金融革命から始まり、今日の、生命科学や遺伝子工学、ロボット技術などなど。次々とイノベーションが行われ、イノベーションこそが経済を牽引する、と言われてきた。イノベーションが競争力を生み出し、経済成長を可能とする、というのが今日の常識になっていたのである。ところがどうやら、この20年ほどのイノベーションは、決して高い経済成長をもたらしていない、という。ということは、今日の経済においては、ひたすら高額の研究開発投資を行って新たな技術を開発しても、それが必ずしも経済を成長させるとは限らない、ということになる。これは格差問題よりも深刻なことなのではないだろうか。というのは、もしそうだとすれば、現在、政府や財界が後押ししている成長戦略も根本から見直さなければならなくなるからである。
ピケティは去っても、この置き土産は残されている。
 
現在の私は、「より速く」も「より遠くへ」も「より合理的に」も無縁になっている。
むしろ「よりゆっくりと、より近くへ、より寛容に」という方に限りなく近づいているような気がする。それは年齢のせいかもしれないが、この大自然の中で生活している環境の影響が大きい。新幹線よりも速いリニアモーターカーに乗りたいとも思わないし、遠い宇宙への旅へも行きたいとは思わない。あの眩しいほどに光るイルミネーションよりも、夜空に輝く月や星の光がいい。ボタン一つで寒い冬を快適な春に変えるより、苦労して作った薪を運び、マッチで火をつけて暖まるほうがいい。時間がかかってもいい。もう何も急ぐことはないのだ。世の中はこれから先も、進歩を続けるに違いないが、それが人間の幸福にどれだけ貢献するかは疑問符が付く。遠い昔、今のように物が溢れていない時代、人は不幸だったかといえばそうではなく、むしろ現在よりも幸福であったような気がする。
命尽きるまで、この自然の中でゆっくりとかみしめながら人生を楽しむつもりだ。
 
 
 

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ