1000曲への道程(みちのり)

歌とのかかわり(昭和歌謡)1章 

2015年03月22日 ナビトモブログ記事
テーマ:カラオケ

 最初の歌とのかかわりは、祖父の家にあった手回し蓄音機です。

 3、4歳のころだったと記憶している。
 ぜんまい仕掛けだったのだろう、ぜんまいを回し過ぎるとレコード盤が回らなくなって、一回り上の従兄に、よく直してもらった。

 針は鉄の針であった。

 その頃の歌では、岡晴夫の「憧れのハワイ航路」、伊藤久男&二葉あき子の「お島千太郎旅唄」が記憶に残っている。

 戦後生まれの私だが、戦前の歌もなぜだか歌える。特に覚えようとした訳でもないのに。
 「緑の地平線」、「人妻椿」等、結構好きな歌がある。

 昭和の時代(子供の頃)は、巷に歌があふれていたように思う。

 ラジオ、のちのテレビでも歌番組がたくさんあって、ヒット曲は自然に歌詞も覚えられた。

 今は、モニタに歌詞が出るので、歌詞を覚えなくても歌える。
 便利になれば、人間の能力が退化する。パソコン然り、字は読めても書けなくなった。

 話を元に戻そう。

 小4の頃に、親父がラジオを持って帰ってきた。

 従兄の中で最年長(一回り以上年上)の人がラジオを組み立ててくれたのだ。

 それからは、ラジオで歌ばかり聞いていた。三橋美智也(キングレコード)の全盛時代で、「リンゴ村から」、「哀愁列車」などが流行っていた。

 この頃から、歌のとのかかわりが深くなっていった。

 また、2000年に鬼籍に入られた野村雪子という、「おばこ船頭さん」、「おばこマドロス」などのヒット曲を出したビクターの歌手がいた。澄んだ張りのある声で、好きな歌手の一人であった。

 残念ながら、カラオケでは両曲とも入っていない。

 (次回に続く)
 

 



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懐メロ〜♪

みのりさん

初めての書き込みです。

懐メロいいですね
私も分からない歌も
懐かしさを感じます。

2015/03/31 21:36:34

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