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部落解放研究滋賀県集会に参加しました。人権問題、部落問題に思うこと・・・ 

2015年02月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

昨日は、米原で行われた、
部落解放研究滋賀県集会 に参加しました。

最初は、
全体集会「人権トークとシンポジウム」で、
★ 一人芝居をされている、中西和久さんの
「しのだづま考」・・・
※ 中西和久「しのだづま考」応援団のFB です。
https://ja-jp.facebook.com/pages/%E3%81%97%E3%81%AE%E3%81%A0%E3%81%A5%E3%81%BE%E8%80%83%E5%BF%9C%E6%8F%B4%E5%9B%A3/244467252373759

★ 辛淑玉さんの、乗り越えネット のお話し、
※ のりこえネットのHPです。
http://www.norikoenet.org/
などのお話しがあり、
日本の社会は、かなり人権感覚が進んだとは言え、
まだまだ、誤解と偏見が、強く残っていること
等が、討議されました。

午後は、私は、
★ 企業の人権研修
★ 障害者の人権と社会参加
★ 歌声による、人権啓発活動
    世直し歩さんとバンド歩歩(ぽぽ)さんのコンサート
に、出ました。



勉強になったし、新しい気づきもありました。
部落問題と私の関わりと言えば、
故郷京都では、世間の大人の口車に乗って、
差別と偏見に疑問を持たない少年・青年期でした。
25歳で、滋賀県の教師に成って、
そこで、高校生の苦しみに出会い、
同和地区隣保館での夜の学習会に参加して、眼を見開かされ、
以後、定年退職時まで、
高校部落研究活動や部落研顧問連絡会議、高校生の集い、同和教育、人権教育に
関わり、人権問題と高校生の自主活動の勉強 をさせて、頂きました。
各地で、合宿学習会をし、
県下の多くの高校生や保護者・地域の方と交流しました。



ただ、残念で、今も強く心に残っていることは、
他校の女子生徒が、部落差別を苦にして、
自死したことです。
昭和40年代、差別が厳しく、街に
高石ともやさんの  ♪もしも、差別がなかったら♪  が
流れていた時代です。
教師になった昭和44年には、映画「橋のない川」 の上映運動がありました。
同和対策特別措置法が制定されました、偏見と差別は厳しく、
高校生は口惜しい思いをしていました。


その時の経験が、定年退職後も、私の活動に大きく影響しています。
自死した高校生の思いを、
   無にしてはならん!!!


あれから40年、日本社会では、
人権感覚は進んだけど、部落問題や在日朝鮮人のことは、
なんとなく、話しにくい!
それでいて、ヘイトスピーチ、
状況は、まだ、残っていると、私は、思って居ます。
忌避するのではなく、
思ったことを交流出来て、
お互いの誤解をなくしていく!!!

若き日、解放運動の活動家が、こう教えてくれました。

“違い”は“違い”と認めつつ、
“共通の基盤”で連帯する!!!

例えば、部落差別と女性差別は違います。
ですが、“共通の課題”を共有することによって、
連帯して、差別をなくす運動は、出来る!!! と。

例えば、部落差別と貧困問題は違います。
ですが、“共通の課題”を共有することによって、
連帯して、矛盾をなくす運動は、出来る!!! と。



どの人権問題でも、タブーなく、話し合いを進め、
いつか、みんなが、腹の底から笑い合える!!!
人を、出自などで、決めつける残酷さを持たない!!!
そんな社会が実現することを願って、
老いは老い故の思いでもって、進んでいきたい、と思って居ます。

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