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死に支度 

2015年01月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


「雪のあしたは 裸虫の洗濯」と、江戸っ子の母が言って居た。



夕べテレビで、一人で死ぬ準備が話題になって居た。身寄りの無い人も、子供に面倒をかけたく無い人も、何処かの会社に百万円とか払っておいて、生きてるうちは、病院の保証人になってもらったり、延命治療は断ってくれと言って置いたり、死亡届を出してもらったり、お骨の始末を頼んだり、遺品整理を頼んで置いたりしているそうだ。? そこまで頼んで百万円で済むのかな?かなり疑問。

自宅で死にたい人は、訪問看護体制がかなり出来て来たので、一人暮らしでもやっていけるらしい。90代で末期ガンで一人暮らしのおばあちゃん。とにかく痛みを取ってもらって、ニコニコして居た。
だんだん痛みの間隔が狭まった時、自分でボタンを押せば、麻薬が注射される装置をつけてもらって、「また一つ安心が増えました」って、良い笑顔。認知症になることなく、4日後に静かに亡くなったそうだ。一人暮らしでも、自宅で最期を迎えられるらしい。

うちは?私が後になる気でいる。息子を頼れるけれど、有る程度自立して居たい。

夫の介護が始まったら、リビングのソファーを片付けて、介護ベッドを借りたら良いと思う。二人ともが介護の身だったら、コンパクトに和室と隣のリビングで生活するべきだろう。
頭がはっきりしていれば、家で介護を受けるのが良いと思う。
わけわからなくなったら病院で良いけれど、自宅のほうが落ち着けるそうだ。病院よりも、痛みを取りやすいと、訪問診療のお医者さんが言って居た。

その時になって見ないと分からないけれど、自分が一人残って、終末期が来たら、病院でも構わないが、家にいられたらなお良いな。この町なら訪問診療はしっかりしているらしい。
心臓が一度止まったら、その時死んだことにしてもらいたい。余計な延命はお断り。



その前に遺品整理で息子に面倒をかけないため、物を減らす工夫を続けなくっちゃ。
引っ越して来る前に、昔の大事な写真だけ剥がして、かさばるアルバムは全部捨てた。写真はポケットアルバムにコンパクトにしまった。それだってもっと捨てても良いはず。いや、それよりカメラに撮って、データを保存すればもっと小さくなるな。
子供達の幼い日の写真はそれぞれ本人に渡した。スペインの娘にどさっと送ったら、あまりの多さに向こうの親戚がびっくりしたそうだ。

家計簿の山は、何処かに寄付できるらしい。物の値段の貴重な記録だから。集めているのはどこなのか探さなくっちゃ。
日記は読まれても困らない。精一杯生きて居た青春時代。恥ずべきことは一つも無い。でもわざわざ読ませなくても良いから、自分で読み返して資料になる部分を集めたら捨ててしまえば良い。


もう、手をつけ始めないといけない年だな。
とりあえず「エンディングノート」を書いておこう。生協で買っておいたから。

新宿も渋谷も、今日はよく見える。
この陽だまりのリビングで、介護を受けて終わるのが理想だな〜




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