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平成の虚無僧一路の日記

やはり知らされていた広島原爆 

2014年12月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



いささか日が経ってしまったが、10月、毎日新聞で こんな記事が
連載されていた。「藤原章生 広島の謎」 その中で
 
福井県に本社を置く 非鉄合金の先端企業「大阪合金工業所」の
会長「水田泰次」氏(88) が、1988年10月発行の『広島高等学校
排球部史』に次の一文を寄稿している。
 
「4月に 京都大学工学部に入学したが、 5月に冶金の教室主任
教授の西村秀雄先生に呼び出されて、広島市内に住居があり、
親がいるということで、内密に情報を教えてもらった。米国の学会
から秘密裡にニュースが送られて来、当時原爆製作を競争していた
日本より先に、米国が成功し、その第1回現地テストを広島で行う
ことに決まったから、できるだけ早く、親を疎開させなさいということ
です。早速帰郷し、理由は誰にも話せず、父を無理やり、廿日市まで
大八車で家財を積んで疎開させたものです」
 
ジャジャジャ〜ン。
さて、この後も執筆者の「藤原章生」氏は、いろいろ疑問を呈している。
西村教授は、アメリカの学会からどうやって、そのような情報を得たのか。
無線も手紙もすべてチェックされている中、情報を得る手段は無かったはず。
不思議とのこと。
 
 原爆が完成し、西部ニューメキシコ州の砂漠で世界初の実験に成功したのは
45年の7月16日。日本のいくつかの都市を攻撃目標と定めたのは、7月25日。
最初の投下を広島と決定したのは8月2日。
 
それが、なぜ、5月の時点で「広島に投下される」という情報がはいったのか
これまた不思議。まるで未来を見通せるタイムマシーンでもあったかの話なのです。 
 

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