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平成の虚無僧一路の日記

「村野藤吾の椅子」にコメントをいただいた方へ 

2014年10月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



2012年2月11日の記事「村野藤吾の椅子」について
一ヶ月前、コメントが寄せられていました。私は一ヶ月
パソコンを封鎖していたので、気づきませんでした。
コメントを寄せられた方。下記へ連絡ください。
 goo3360_february@mail.goo.ne.jp.
該当ブログの再掲です。尚「村野藤吾」に関心のある方は
カテゴリーを立てていますので、まとめて一読ください。
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「建築をやるなら、まず椅子の設計をやりなさい」と村野藤吾は云う。「住まいでも職場でも、人が長時間留まるのは 椅子の上。快適さを感じるのは椅子の良し悪しだ」と。村野藤吾は、各役員室、応接室、会議室、大会議室、食堂や喫茶室の椅子まで、全部自身でデザインされた。大会議室の椅子など、肘掛や脚の部分がアールを描き、実に繊細。今にも折れそうに か細い。すぐ壊れやしないかと誰もが心配した。村野藤吾はいう「繊細で華奢(きゃしゃ)なものこそ、大切に扱われ、長持ちするのだ」と。なるほど、小学校の椅子など頑丈に作られているが、扱いも乱暴になり、すぐ壊される。すぐ壊れそうなものは、丁寧に大事に扱おうとする心が働くものだ。大会議室の椅子は、平成5年まで30年使われていた。私が名古屋に転勤になる直前、さすが、ニスも剥げ、布の部分もほつれが目だってきたので、全部廃棄し取り替えられることとなった。新しい椅子は、村野の設計した会議室にはそぐわない がっしりした色気もないものだった。村野藤吾のデザインした椅子が廃棄処分されると知って、私は2脚もらい受けた。それが今2脚、私の部屋に鎮座ましましている。村野藤吾の遺品だ。村野藤吾の意匠が次々と壊され、無くなっていくのを私は断腸の思いで見聞きし、千代田生命と決別したのである。

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