メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

ブログ6000件突破 

2014年10月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



ブログが 6,000件を突破。2007(H19.6.1)からスタートして、
7年で書きも書いたり。本にまとめたい。カテゴリーは二つ。
?虚無僧日記と虚無僧の歴史
?会津藩と当(牧原)家の系譜
 
当ブログの最初の記事を再掲します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
H19.6.1 虚無僧尺八の全国大会が新宮の全龍寺であり参加した。
虚無僧の本山明暗寺は現在、京都東福寺内にある。秋の大会は
京都明暗寺で、春は全国各地の虚無僧ゆかりの寺で行っている。
新宮の全龍寺は、幕末最後の虚無僧「尾崎真龍」の菩提寺とのこと。
ところが行ってみて驚いた。ここは 紀州徳川家の御付家老として
浜松から赴任した水野家重仲の菩提寺でもあった。その家臣も
亡くなれば ここに葬られたとのこと。
 
実は我家(牧原)の先祖も水野家の家臣として、一時期新宮に来て
いたので、当家の先祖の菩提寺でもあることがわかったのだ。
虚無僧で旅をしていると不思議な因縁に導かれることが度々ある。
寛永20年(1643年)、保科正之が 会津23万石の太守となった時、
3,000人もの藩士の募集があり、当家は新宮から会津に移籍した。
新宮にいたのでは、紀州徳川家の御付家老の家臣、又家来であり、
うだつが上がらない。それで、わが先祖は 17歳で小姓として会津藩に
召抱えられ、奉行格、側用人 500石にまで出世した。
であるから、会津藩の興亡とともに、北海道から九州まで、全国
各地に先祖の足跡が残されている。私の虚無僧の旅は先祖の
足跡を訪ねての慰霊の旅なのだ。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ