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平成の虚無僧一路の日記

8月23日は、白虎隊自刃の日 

2014年08月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



毎年書いてますので、やはり今年も書きましょう。
8月23日は、会津人にとって忘れることのできない日です。
一昨年でしたか、ラジオの「今日は何の日」で 「白虎隊自刃の日」と
取り上げられたり、カレンダーにも書いてあったりで、 「へぇ〜」と
思ったものでした。歴史的事件で、一般に 日にちまで記憶されているのは
せいぜい「三月三日の桜田門外の変」ぐらいでしょう。
それが「会津が降伏した日」でもなく、西軍が城下に攻め込んだ日
として 未だに とりあげられるとは稀有なことです。「8月23日」は、当家にとっても 先祖の弔いの日です。
本家の最長老、隠居の「牧原一郎(63歳)」と その弟の「奇平(61歳)」、
さらに甥の「源八郎(18歳)」は、「容保」公の供をして滝沢本陣に向かいます。猪苗代陥落の知らせに、白虎士中二番隊とともに、「牧原奇平」は、僧侶や
神主、山伏、相撲の力士等を かり集めて「戸の口原」に向かいます。
それに甥の「源八郎」も従いました。しかし、大砲と鉄砲には敵うべくもなく、
みな敗走してしまい、「奇平」は責任をとって強清水で自刃します。
「源八郎」は、腕を撃たれますが、叔父の最期に立会い(介錯したか?)、
北会津の新田家まで帰りつき、そこに匿われて、命をつなぎました。
私の直接の先祖です。
そして「奇兵」の兄、「牧原一郎」は、「容保」公が滝沢本陣から城に
退却する際、「老いの身、足手まといになっては」と、首をかき切るのですが、
殿様から「君、あわて はやまるなかれ」と諭され、殿様の護衛をしながら
甲賀口郭門横の自邸まで戻り、しばし防戦。力尽きて孫の「豊四郎」に
介錯してもらい果てました。
(孫が祖父の首を切り落とす、現代なら猟奇事件です)。
以前の年末時代劇 『白虎隊』では、牧原邸の隣人「井上丘隅」を森繁久弥が演じ感動でした。「井上丘隅」は「神保雪」の実父です。ドラマ『白虎隊』では「井上丘隅」は最後まで生き残りますが、事実は、「甲賀町口」で子供たちを連れて防戦し、牧原一郎とともに自害して果てます。■土佐藩士「氷室隼人」の手記に「この時の戦に、七十歳ばかりの老人 槍を引っ提げ躍り出て、味方の一人を刺し、引き込む槍の石突で他の一人の腰を突いたので、遂に鉄砲で撃ち倒した。それと同時に十四、五歳の少年が 槍を構えて手向かって来たので、其奴を生け捕れ、生け捕れと叫んだが、またぞろ一人が刺されたので、鉄砲で射殺した。その夜は 酒の宴に その少年の首を大皿に乗せ、“愉快極まるこの夜の酒宴、中にますらお美少年”と歌って、一同、大いに酒を飲みほした」と。その少年というのが、門番役 佐藤與左衛門(74歳)の孫の「勝之助」十四歳であった。この話は、NHKの『八重の桜』では さすが カットされましたな。

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