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平成の虚無僧一路の日記

多治見という名 

2014年08月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



私の先祖に「多治見」という名の人がいた。 初代は、紀州徳川家から会津保科家に移った。 そして、会津で生まれた子に「多治見」と 名づけた。なぜ「多治見」なのか? ずっと 考えている。 江戸時代の初期に、多治見の名は、会津まで 知られていたのだろうか。多治見の図書館で 多治見の歴史を調べたが、多治見の名が知られ るようになるのは、江戸時代の後半、美濃焼きの 集積地となってからだ。 ひとつの手がかりは、家老の横山家が美濃の 加納藩から会津に移籍していることだ。この 横山家と姻戚関係を結ぶ。その時、名づけ親 となったのでは? というのが推測だ。 「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。 「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

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