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平成の虚無僧一路の日記

尺八狂言『楽阿弥』 

2014年07月23日 外部ブログ記事
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狂言に『楽阿弥』というのがある。ネットで検索すると
結構演じられている。

「旅の僧が伊勢参りの途中、伊勢の別保村にさしかかると、
何本もの尺八がぶら下がっている松の木があった。村人に
その由来を尋ねると、その昔、楽阿弥というたいそう尺八
狂いの男がいて、その霊を弔う松だという。ならばと、旅
の僧は袖の下より尺八を取り出して「自分も一曲手向けよう」
と短尺八を吹く。すると、それに合わせるかのように低い
音が聞こえてくる。それは楽阿弥の亡霊だった。

「宇治の朗庵主の序(=偈)にも『両頭を切断してより後、
尺八寸中古今に通ず』とあるように、こうして幽明境を異に
する二人が心を通わせられるのも尺八の縁かと言って消えよう
とする。そこで旅の僧が、せめて最期を語らせたまえというと。

「さらば語りなん。楽阿弥は、時と所をかまわず門付けして
尺八を吹くものだから、村人に嫌われて布施ももらえない。
またそれを腹立ちまみれにあちこち行って悪態をつくもの
だから、尺八のように、縄でしばられ、矯められ、炙られ、
のこぎりでひかれ、殺されてしまった。冥土に行っても尺八
への妄執を断ち切れずにいる。この苦しみを救ってくれ」と
言い残して消えた。


狂言だが、楽阿弥の霊が現れて、旅の僧に最期の様を語る
という「夢幻能」の形式になっているので、かなり古い
「室町時代の作ではないか」。また「1561年に京都の
三好邸で演じられた」との記録があるともいう。

1.「宇治の朗庵主の頌にも『手づから両頭を切断して
より後、尺八寸中古今に通ず』」という台詞が出てくる。
これは1511年頃の『体源抄』に「一休の作」として載っている。

また、「宇治の朗庵主の」と出てくるので、「文明丁酉
(1477)年祥啓筆」と記載のある『朗庵像』を見知っていて
作られたものである。

2. 「われらも持ちたる尺八を、袖の下より取り出だし」
は、1518年成立の『閑吟集』にある。

この狂言は、『体源集』や『閑吟集』から作られたと
すると、1520年以降の作となる。


ただし、この時代の尺八は「1尺1〜4寸」の「一節切
(ひとよぎり)」だったはずである。

「一節切」は竹の中ほどを使うので、細くてまっすぐである。
しかし、この『楽阿弥』という狂言の面白さ、狂言たる所以は、
「楽阿弥」が「縄でしばられ、矯(た)められ、炙られ、
のこぎりでひかれ」と、現在の「根節」を使った長い尺八の
製法通りに「いたぶられて殺された」ということである。

つまり現代の尺八は、紐で固定して、火にあぶり、ねじ曲がった
部分をまっすぐにしたり、管尻を格好良く、少し上向きに曲げたり、
「ためなおし」をする。その製法が書かれているということは、
現代と同じ「長管尺八=大尺八」が、室町時代にもあったと
いうことになる。

この点では、「一節切」以外に室町時代の「大尺八」の原物や
資料が現存していないので、はなはだ不思議なのである。

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