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平成の虚無僧一路の日記

「明暗」は「めいあん」か「みょうあん」か 

2014年07月23日 外部ブログ記事
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私は「偈箱(げばこ)」に「明暗」と書いているが、実は、
江戸時代、「明暗」と書いた「偈箱」は無かった。どうやら
昭和18年の映画『虚無僧系図』に「明暗」と書いた
「偈箱」が使われ、一般的になったようである。

しかし、現代「虚無僧研究会」の会員でも、富山県高岡の
「国泰寺」や、紀州由良「興国寺」に関係する人たちは
「国泰寺」とか「興国寺」と書いている。

九州の「西村虚空」の派は「不生不死」など禅語。
「高橋空山」門下の「藤由越山」氏は皇室の裏門の
「五七の桐紋」。江戸時代の錦絵にあり、これが正式と
主張している。それぞれこだわりがある。

ネットでも書かれていたが「明暗」は、実は京都の
「明暗教会」の会員という印でもある。


歴史的にはともかく、私は、普化禅師の偈(げ)「明頭来明頭打・
暗頭来暗頭打」に由来する「明暗」こそ、虚無僧のシンボルとして
ふさわしいと思っている。

江戸時代の錦絵にあるような金襴綾錦の偈箱も作ってみたが、
かえってインパクトがない。黒地に白で「明暗」とあれば、
「どういう意味ですか?」と聞かれることもしばしば。
「よくぞ 聞いてくれました。これは普化というお坊さんの偈で
明にも暗も心の内、明にも暗にもこだわるなという意味です」
なんて説明し、納得してもらっている。

もうひとつ「明にあっては明、暗にあっては暗。臨機応変、
こだわらない」という意味も。

さて「明暗」の読み方だが、「明暗寺(みょうあんじ)」とか、
「明暗協会(みょうあんきょうかい)」そして普化の偈
「明頭来明頭打(みょうとうらいみょうとうだ」に由来すると
なると「みょうあん」が正しいかな。

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