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上海大学シニア留学日記

北京旅行(5日目)清西陵 

2014年05月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


朝5時に起床。
6時30分、朝食会場に行く。
6時50分に食べ終えて、迎えの車に乗る。


今日は北京から西に140キロの所に位置する
世界遺産の清西陵に行く。


万里の長城に行く途中にある明の十三陵に行くツアーは
あるが、清西陵や天津に行く途中にある清東陵に行く人は
殆どいない。
各々北京から片道3時間近くかかり、交通が不便な故に
行きたいと思ってもなかなか行けないのだ。


私は既に清東陵には行ったので、今回はAさんの協力を
得て、やっと訪問が叶う。
車チャーター料一人500元。9,000円だ。


車は途中まで高速道路を走り、その後田舎道の一般道を
走り、10時過ぎに清の雍正帝の眠る秦陵の大紅門に到着する。


大紅門から道が真っ直ぐに続き、石碑や石橋や神道を経て
秦陵に辿り着くのは4キロも先になる。
凄いスケールだ。





(石碑坊)





(大紅門)





(中に巨大な石碑が、この後ろに石橋があり、さらに神道が続く)






(神道までは車で移動した)






(神道から車で移動。いよいよ秦陵、
入場料は60歳以上半額)



(奥の赤い建物のさらに奥に雍正帝が眠っている)





次に第11代の光緒帝の陵墓である崇陵に車で20分ほど
走り移動。

石碑坊の龍鳳門を潜ると、石碑を収めた赤い建物が
現れる。



(龍鳳門)



(石碑を収めた赤い建物)


崇陵の本殿は地下室があり、石棺に光緒帝と妃が
眠っている。




(崇陵)




秦陵も崇陵も建物の構成は似ている。
多分、皇帝の陵墓は決められたルールがあるのだろう。

我々は崇陵から車で5分の民間の陵園に眠る悲劇の
ラストエンペラー愛新覚羅溥儀の墓に行く。

普通の人は陵園には入れないらしいが、運転手の高さんが
わざわざ日本からお参りに来た人達だからと交渉してくれた。
車をチャーターして良かった。

最後は民間人となったとは言え、他の皇帝たちの墓とは
歴然たる差だ。




(ラストエンペラー愛新覚羅溥儀の墓)



午後1時、運転手さんと一緒に田舎の食堂で
昼食をとる。




(田舎のレストランは満員、外にテーブルを出して食べた)


3品ほどのおかずと炒飯を分け合って食べる。
実は崇陵を見学していた頃に、カメラのSDカードの
残量が無くなり、必要のない写真を消しながらの撮影
となった。
うっかり、スペアを忘れた。

だから、以降写真が極端に減ります。

食後、まっしぐらに北京を目指す。
到着が17時を過ぎると超過料金を取られる。

帰りは、高速道路が工事中で一般道を遠回りして
帰らなければならない。

ところが、山道で事故渋滞に巻き込まれた。
30分もビクとも動かない。
観念したが、運転手さん動き出したら、ビンビンスピードを
出して、走ってくれる。



(山道で事故渋滞)


何と、30分も渋滞で無駄にしたのにホテルには5分
遅れで到着。
超過料金を払わずに済んだ。
運転手さん、有難う。

ホテルで休憩した後、夕食を食べに昨夜と同じ「鬼街」
に繰り出す。
一番有名な「花家怡園」という四合院の造りのレストランに
入る。
メニューを見ると、値段が高い。
3品ほど注文したが、味は感動するほどでは無い。
特に酒が高く、白酒や葡萄酒は日本円で1万円もする。



(鬼街の夜は賑やかだ)




(花家怡園)



(四合院の造りの中庭部分)




この店を出て、歩いていると麻辣湯の店を発見。
上海でよく食べた料理で懐かしい。

籠に具材を選んで精算すると僅か10元。
言葉が通じなかったのかカレー味で出てきたが、これが
美味しいこと、美味しいこと。
もしかしたら今回の旅行で一番美味しい料理
だったかも知れない。
私は安上がりに出来ている。

店を出ると、大粒の雨が降り出した。
タクシーがなかなか拾えない。
仕方なく、地下鉄で帰る。

明日は朝いよいよ帰国だ。

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