メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

虚無僧は戦前は禁止されていた 

2014年04月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「普化宗」が廃止されたのは、明治4年の「廃仏毀釈」で、
「仏教が排斥された一環」という記述もありましたが、
それ以前、幕末には、徳川幕府としても虚無僧の横暴、
狼藉三昧な行動を取り締まる動きに変じていました。

虚無僧は、江戸時代「家康公のお墨付き」と称して、
好き勝手な「掟」を作り、村々から強制的に米を納め
させるなど、庶民にとっては迷惑な存在になっていました。

幕府も虚無僧寺を捜索してみれば、罪人がまぎれこんでいたり、
寺に女を囲って、飲む打つ買う三昧の乱れた生活で、厳しく
処断します。

昨年のNHK大河ドラマ『八重の桜』でも描かれていましたが、
会津藩士「山本覚馬」は、慶応4年正月、鳥羽伏見の戦いが
起きると薩摩に捕えられ、獄中で『管見』を書き、来るべき
新時代の構想を提示します。その中で「山本覚馬」は「仏教界は
堕落しきっており、その悪しき因習は、新時代には弊害となる
であろうから、仏教は廃止すべき」と書いているのです。

すごい卓見です。それもあって「山本覚馬」は「新島譲」を
援けて、キリスト教系の大学「同志社」を創立したのでした。


明治政府は、「王政復古」を掲げ、政教一致の「国家神道」を
作ろうとし、神社内に併存していた寺院を廃止させる、
いわゆる「廃仏毀釈」運動が始まります。

明治4年、神祇省を設置し、政治と仏教の断絶を宣言し、
諸寺の寺領を没収します。寺の僧侶は還俗させられ、廃寺と
なった寺からは多くの仏像が海外にまで流出しました。

さらに、普化宗と修験道(山伏など)を「所属不明の悪しきもの」
として禁止します。(太政官布告)

呪術的な祈祷や医療行為に類似する「狐憑き」なども禁止します。

さらに明治7年には火葬を禁止したりもしていますが、その後、
余りのエスカレートぶりに民衆の支持が得られず、緩和の方向に
なって行きます。

普化宗が禁止されたのはそういういきさつからでした。
なお、普化宗が宗教法人としても国に認められたのは
昭和25年に宗教法人として登録されたことからです。

「昔はよく虚無僧を見た」というのは、昭和30年前後の
ことです。私も見ました。虚無僧といっても格好だけで、
多くは、都山流などの尺八習いたてで、「六段」や「千鳥」を
吹いていました。虚無僧「本曲」が世に出てくるのは、
昭和40年以降のことです。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ