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平成の虚無僧一路の日記

「明暗」ってどういう意味? 

2014年04月22日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「教えて」のサイトで「虚無僧」を検索した結果

【質問】虚無僧の胸の前に下げている袋に書かれている文字
    「明暗」について、なぜ「明暗」なのか

【回答】明暗寺(京都)系の僧侶を意味しています

同様のものがありました。

   よく時代劇で用いられる「明暗」と書かれた箱は、   
仏教用語のように見えるが、特に意味はなく、
   「私は明暗寺の者である」という程度のものである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ウ〜ム。半分は正しいが、「特に意味がなく」というのは、
ひっかかります。仏教用語です。


たしかに、歴史的には、江戸時代の浮世絵には、「明暗」と書いた
頭陀袋や「偈箱(げばこ)」は、無いのです。

明治4年、「普化宗」は廃止され、虚無僧姿で尺八を吹いて
門付することも禁止されました。京都「明暗寺」の最後の看主は、
寺の本尊「開祖・虚竹の像」や什物を、知り合いの東福寺の塔頭
「善慧院(ぜんねいん)」に預けて出奔します。

明治23年、名古屋西園流の樋口対山他、尺八愛好家によって、
「善慧院」を寄会所として「明暗教会」が発足しました。当時、
キリスト教も公認となったので、“それなら虚無僧も”との思いで
「教会」としました。時に、東福寺の本堂が全焼するという事件があり、
その再建費用を集める団体として、東福寺の了解をとりつけた
ようです。

それで、昭和初期、“最後の虚無僧”と言われた「谷狂竹」は
偈箱に「京都東福寺内、明暗教会」と書いてました。それでも
法律上は、虚無僧は禁止ですから、「谷狂竹」は 二度も警察に
捕まって、留置所に入れられ、略式裁判で罰金を払わされて
います。虚無僧受難の時代でした。

虚無僧が晴れて政府公認となるのは、昭和25年のことです。
新憲法で「信教の自由」が保証されたために「普化正宗・
明暗教会」として宗教法人登記がされます。所在地は「善慧院内」
です。「善慧院」は臨済宗の寺であり、その住職は臨済宗の僧呂で
あって虚無僧ではありません。「善慧院」に虚無僧が常駐している
わけでなく、年何回か、お寺をお借りして、尺八愛好家が尺八の
奉納吹奏をさせていただくという関係です。虚無僧愛好家は、
年5千円以上の志納金を納めれば「明暗教会会員証」をいただけます。

ただし、「これは托鉢を認めるものではありません」との一札が
書かれています。

「門付」は「もの乞い」と同様と看做されると、現行法でも
「軽犯罪違反」になるのです。一応「警察は黙認」という慣行に
なっています。

そして、偈箱の「明暗」ですが、これは、戦前、戦後の映画
から始まったものです。「虚無僧系図」で「何もないのは
さびしいので、何か良い案はないか」という監督の要望に、
尺八指導と演奏を担当していた「菊水湖風(柴田聖山)」と
「堀井小二朗」が、「『明暗』がいい」と提案して採用された
とか。

そんなわけで、「明暗寺」から「明暗」になったのは、ある意味
正しい。高岡の国泰寺派や、紀州由良の興国寺派では「明暗」は
使いません。

さて、では「なぜ『明暗』なのか」です。「仏教的な深い意味は無い」
といわれるのは残念です。深い意味があります。これは「普化禅師」の
偈(げ)「明頭来明頭打、暗頭来暗頭打」に由来しています。

その意味は
・「明にも暗にもこだわらない心」。
・「明にあっては明、暗にあっては暗の流れに任せる自在な生き方」。
・「暗にあっても明なる生き方」
・「暗を明に転ずる生き方」

などなど、仏教的に深い意味があるのですよ。知ってチョ〜。

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