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ZRX1200S城

亀山城 庄原市小奴可 

2014年04月22日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

       亀山城


 
治承四年(1180)奴可入道西寂(ぬかにゅうどう、せいじゃく)は伊予の住人河野道清が反乱を起し道前・道後の境にある
高縄城に篭ったため平氏の命により鞆の浦から兵船を整え押し寄せこれを討ち取ったと云う。しかし河野道清の子・四郎通信は
遊宴中の西寂を襲い父の墓前で引き回しの上、首をはねたと云う
              (源平盛衰記 陰徳太平記)
中国山地の山々に囲まれのどかなこのあたりも、往時には伯耆、備中と境を接した重要な地でした。
 
戦国時代には備後国の有力国人・宮氏の一族の小奴可(おぬか)氏の本拠となりました。
 
 比高40Mくらいです

  要害桜のあたりに居館があったようです。

          二の丸 桜がいっぱい

   二の丸 ほぼ全景 桜しか写りません

       二の丸から東方を見る

        二の丸から要害桜を見る


         本丸土塁前から

         本丸の土塁


           本丸の土塁 南から

  土塁背後・写真ではなんのこっちゃですが
 ほとんど垂直に近い切崖です。

   二の丸東側 帯郭状になっています。

    もう一度   要害桜


     今回は殆ど桜見物でした。
城南側は殆ど木が伐採されてなく道が付けられているだけです。

          亀山城 遠望

 平安の頃からある城とは驚きでした。

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