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平成の虚無僧一路の日記

『倫風宏話』に「木村拓哉」の逸話 

2014年04月01日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



(社)実践倫理宏正会の会誌『倫風』5月号『倫風宏話』に、
なんと「キムタク」のこんな話が載っていました。

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木村拓哉が15歳の時のこと。萩本欽一がプロデュースする
グループ(茶々隊)のオーディションを受けた時、萩本欽一が
「好きなものは何?」と質問したら、「お母さんの作った
お稲荷さんん」と答えた。そのことで、萩本欽一は、「この子は
大物スターになる」と直感した。
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倫理の宏話ですので「親への感謝の心が大切」として引用
されています。ネットで調べてみました。

キムタクは、このことで、萩本欽一から「おいなりくん」と
あだ名されたので、レッスンに行かなくなり、降りたとか。
キムタクもまだ15歳。純情というより、キレる人間でしたな。

それにしても、「お母さんのつくったお稲荷さん」の一言で、
「大物になる」と直感したというのが、よくわかりませんな。


「茶々隊(CHACHA)」は、『欽きらリン530(88年)』日本テレビの
番組で作られたアイドルグループ。当時すでにSMAPは結成
されていたが、まだデビュー前で、あちこちの番組のオーディションを
受けていた。その一つ。

この時、合格したのが、「草なぎ剛」と「木村拓哉」の二人。
「草なぎ剛」は、萩本欽一の番組に出演したが、萩本欽一が
「茶々隊といると輝きがくすむ、こんなとこにいるより、
SMAPとして育てた方がいい」と、ジャニーズ事務所に
連絡をとって、番組を降ろしたとか・・・・。

萩本欽一の“人を見る目”、度量の広さもうかがえる話でした。

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