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平成の虚無僧一路の日記

「明日ありと思う心の仇桜」 親鸞 

2014年03月31日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し




吉川英治の『親鸞』を読んだのは、中学1年の時。
夢中になり、授業中でも、教科書を読むふりをして
角川の単行本を読んでいました。だって「虚無僧」が
出てくるんですもん。

その第一巻。親鸞 9歳で 得度する時、慈鎮和尚が、
まだ幼い親鸞を見て、「明日に伸ばしては」と言うと、
親鸞はすかさず

「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかわ」と
言ったとか。

(おっと、得度した時の名は、まだ「親鸞」ではありません。
「範宴」でした)。

この句が妙に気に入った私。以後「あなたの座右の銘は?」と
聞かれると、必ず、この句を挙げていました。入社試験でも。
“かっこいい”と自分で酔っている私です。

「桜」について 何か書く時は「世の中は 3日見ぬまの桜かな」
という句を先につけて「明日ありと思う心の仇桜・・・・」と
続けます。

ところで、「明日ありと・・・」と、いつも口にしている私ですが、
現実には「明日で良い仕事は明日に先送り」している私です。

口と行いが一致しない。言行不一致。自戒の意を込めて、口に
するのです。

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