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平成の虚無僧一路の日記

吉川英治の『宮本武蔵』にも虚無僧登場 

2014年03月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



吉川英治は、よくよく「虚無僧」が好きな御仁でござる。
『親鸞』にまで「虚無僧」が登場してくるのですから。
(平安、鎌倉の時代には [虚無僧」は いません)

さて『宮本武蔵』。昨晩(3/15)「キムタク武蔵」でも
出てきた場面。
又八が伏見城の普請場で働いていた時、武者修行の男が
城の見取り図を写していて、不審者として殺される。
その男から、佐々木小次郎の「剣術免許皆伝証」を
託された又八。その後、原作では、又八は とある一軒の
廃屋にもぐりこむ。そこで虚無僧に出会うのです。

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ちょうどよい塒(ねぐら)と ここに一夜を明かしている虚無僧
らしい。独り尺八を吹いているのだ。それはまた他人に聞かそう
ためでもなく自ら誇って陶酔している音でもない。秋の夜の孤寂の
やる瀬なさを、無我と三昧に過ごしているだけのことなのだ。


一曲終ると、虚無僧は 独り言に――
「四十不惑というが、おれは四十を七つも越えてから あんな失策を
やって、禄を離れ、家名をつぶし、あまつさえ独りの子まで他国へ
流浪させてしまった。考えれば慚愧にたえない。死んだ妻にも
生きている子にも会わせる顔がない。


虚無僧は、浪人の垢じみた着物を着て、その胸に 普化禅師の末弟と
いう証ばかりに 黒い袈裟をつけている。敷いている一枚の筵は、
常に巻いて手に持って歩く彼の唯一の衾(ふすま)であり、雨露の
家だった。

「四十代ほど、油断のならない年頃はない。自分だけが いっぱし
世の中も観み、人生もわかったつもりで、少しばかりかち得た地位に
思い上がって、ともすると、女に対しても、臆面のない振舞に出るもの
だから、運命の神から背負い投げを喰わされるのだ。慚愧のいたりだ」

誰かに向って謝っているように、虚無僧は頭を下げて、さらにまた下げて、
「おれはいい、おれは、それでも、いいとしよう。こうして懺悔の中に、
なお許してくれる自然のふところに生きて行かれるから」
と、ふと涙をこぼし、

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と、原作では、虚無僧の愚痴が長々と続く。どうやら、この虚無僧は
姫路の池田候に仕えた1000石取りの侍「青木丹後」。
『キムタク武蔵』で、冒頭「武蔵(たけぞう)」を捕えた役人の
なれのはてであった。
その子「城太郎」は奇しき縁で、宮本武蔵の養子になる。

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