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都わすれの「「ベガルタ応援日記」

3年だものね・・ 

2014年03月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


確か私が行った3月30日はまだ被災地に行けない状態だったが、被災した友達の足となって動いていて・・その方が乗っていたために行けたのだった 


市場に出荷する野菜をビニールハウスの中で準備中、大津波に襲われて一緒にいた息子さん(京都に就職が決まりアパートなど決めて前日戻った)とお母さんが犠牲に(お母さんはまだ見つかってない)


友達も若林区二木から閖上沖まで流されて、18時間後に救助されそのまま酒田の日本海病院へ搬送になった 


腰に紐が結ばれてあってそれで流木に身体を結び付けたから、漂流していたらしいがいくら手を振っても多くの瓦礫の中で、見つけられなかったらしい 


雪が降り水から出ている髪の毛などは凍っていて、水の中の方が暖かかったと聞いた 


聞いてから「あんなことを・・」って思ったが、助らえるまで何を考えていたのって聞いたら、「死ぬわけにはいかない・・」と・・


搬送は凍傷と低体温症で2週間余りでした。 


元の我が家は結果的に床下浸水・大規模半壊で、翌年4月に解体でしたが我が家のことにかまわず、友達のお母さんを探して(息子さんは早くに遺体で見つかった)遺体安置所周りをしたり、借り上げアパートを探したり・・必要なものを我が家から軽トラ2台運んだり、20日くらい行動を共にしました 


その後のこと方はこれまでブログで再三書いて来ましたから、改めて書くことは止めたいと思いますが・・昨日も通ったがあの瓦礫はきれいさっぱりと無くなり(仙台市は意外と早かったかと)、昨年は海に最も近い場所を除いて稲が植えられてもいました(収穫がどうだったかは分からないが・・)


しかし稲じゃなく「豆畑」にした部分は昨年の長雨で、すっかり水に浸かりっぱなし(津波の水が入った場所は特に水が抜けなかった様子)で多分収穫ゼロだったかと・・


私は女川や気仙沼など南三陸まで、まだ一度も行けなくています 


仙台の南隣・・名取市の復興は、仙台市よりかなり遅れていると感じます 


今は復興住宅地の整備などで大型トラックが行きかい、あちこちの道路は「地震で傷んだ道路を直しています」で、片側交互通行が多く走り難い 


それでも仙台市は海岸線を除いて、今後も住める場所も多いが福島などはいまだに立ち入りできない場所や、最終的に人が住めない場所もあるようで・・


被災者と言っても私などは最も恵まれている部類と思う 


震災前と大きく変わった部分もあるものの、一応は以前の生活が出来ています 


近くの仮設住宅には多くの方々が、不自由な生活ばかりか大きな不安を抱えていると思うし、震災によって人の気持ちにも大きな影を落とし、人間関係にも問題も出てきています 


「明けない夜はない」とは申しますが、まだまだ闇をさまよっている方もいるものと思う 


お偉いさん方が「視察」と称して、駆け足で回ったところで何が見えるのか・・


1ヶ月でも仮説住宅で生活したり、ボランティアなどやっていてもらいたいものと思う 


今年70歳を迎える私たち・・震災がなければもっと早かったはずだけれど、中学の同級会を予定していますが・・何人集まれるか・・


私が把握しているだけで3人が犠牲になった(お一人は義母宅の隣り) 


私たちは停電だったから大津波が、覆いかぶさる映像などは殆ど見てなくて、やっと電気が灯ったときは見たこともない風景ばかりだった 


決して忘れたいわけじゃないが、震災特番・・私は見たくない 


夫の自宅近く貞山堀(松林は無くなり海が見える)と五柱神社と松の木・・今は枯れたのかなぁ、松の木しかない 

  
   


  
   




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