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平成の虚無僧一路の日記

坪内逍遥の最後 

2014年03月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「坪内逍遥とその妻セン」については、松本清張の『文豪』で知り、
関心を抱いて調べていたら、ネットで「矢田山聖子」著
『坪内逍遥の妻、大八幡楼の恋』(2004年刊)を見つけ、
さっそく取り寄せました。

「矢田山聖子」は慶応卒、「三田文学」会員で、作家を志し
ていたとのこと。「早稲田」に縁の深い「逍遥」について
慶応卒の「矢田山」さんが書いた。その経緯は、

かつて住んでいた所が、根津の遊郭の後地で、「坪内逍遥」は、
そこの大八幡楼の娼妓「セン」を妻にしていたことを知り、
さらに、養子「士行」と「くに」の手記を入手することにも
なって、逍遥に取り憑かれたように、これを書いたといいます。
その内容は、松本清張の『文豪』を越えるものとなっています。

今でこそ、根津の遊郭の娼妓を妻にしていたことなど、
“よくある話”と聞き流してしまいますが、逍遥は
早稲田の中学・高校で「倫理」の教育に携わるようになり、
「妻が娼妓」であったことが、その足枷(かせ)になったので
しょうか。妻の出自をひた隠しにし、ひたすら潔癖な生活を
続けたようです。

倫理的な潔癖さは、他人にも向けられ、養子「士行」の
女遍歴が許せずに絶縁したり、愛弟子の「島村抱月」が、
妻子ありながら、女優の「松井須磨子」と恋仲になった
ことも許せず、袂を分かちます。松井須磨子は、島村抱月が
スペイン風邪で死ぬと、後を追って自殺。


逍遥は死の直前、側近に「人は私を幸福だと言うが、決して
そうではなかった。私は30歳から苦しみ通し苦しんできた」と
語って、初めて人前で涙を見せた。

その後がすごい。養女「くに」が書き留めていました。

「死にたいと思っている者を なぜ 止める」
「医者として、自殺のお手伝いをするわけには いきませんから」

主治医とのやりとりが何度も何度もくり返された。そして
逍遥は睡眠薬を一錠だけ もらって眠りにつく。目が覚めると
また一錠、看護婦から もらって服用し、眠る。こうして、
何も食べず、何日間か 眠り続けて こと切れた。

昏々と眠り続け、ふっと目がさめたとき、朦朧とした意識の
中でつぶやいた最後の言葉は、「馬鹿な・・・」でした。

何を夢みていたのだろう。誰に対して言ったのか、自分に
言ったのだろうか。

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