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平成の虚無僧一路の日記

寿命は定められている。「定命」 

2014年03月04日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



新聞の三面記事は、災害、交通事故、犯罪による死亡事件が
ずらりと並ぶ。‘死’は日常茶飯事。 でも、誰しも
「自分だけは、自分の身内だけは・・(今日は死なない)」と
思って生きている。もし、身内の者が突然に亡くなれば、
驚き 嘆き悲しむ。そんな気持ちに整理をつける言葉が
「定命(じょうみょう)」。

「瀬戸内寂聴」のもとへは、そうした悲しみを抱えた
多くの人が訪れる。寂聴さんは、一応「それは悲しい
ことですね」「辛いですね」と受け入れる。

その後で、「人は生まれた時から、いつ死ぬか、寿命は
決まっているの。それを“定命(じょうみょう)”と
言います。長生きしたいと思っても、お迎えがくれば
行かなければならない。死にたいと思っても、お迎えが
来なければ死ねないの。病気であっても、事故であっても、
自殺でも、みな 定命だと思いなさい」と。

そう、犯罪や交通事故に巻き込まれて死ぬのも、その人の
「運命」。生まれたときから、そうやって死ぬように
運命づけられていると思えば、あきらめもつく。

寂聴さん。こんなことまで。
子供を亡くして嘆き悲しむ母親に、「良かったじゃないの。
子供なんて 大きくなったら、親の言うことなんかきかなく
なって、あなたを困らせたかも。そんな苦労をせずに、
一番いい思い出の時に 亡くなったんだもの」と、明るく
笑いとばす。

これは、寂聴さんだから言える。あのキャラだから
言えるのであって、私が言ったら、かえって恨まれそう。

そして、寂聴さんは言う。
「お子さんの魂は、ずっと あなたの側にいて、あなたを
見守ってくれているわ」と。

「人は死んだら“成仏”と言ってね、みな 仏様になるの。
仏様になったんだから、悪いことなんか 絶対しないの。
よく世間では、悪い霊が憑いている。徐霊するために
この壷を買いなさい、なんて言う人がいるけど、亡くなった
人が悪いことはしません。

私なんか、男がみな先に逝ってしまったけれど、一人
亡くなるたびに、私はどんどん幸せになったわ。みな
私より先に死んで、私を守ってくれているのよ」。

「死んだら みな仏になる」というのは「天台宗」の考え。

同じ密教でも「真言密教」は、道教が色濃くはいって
いるから、“先祖供養をしないと、祟りがある”などといい、
施餓鬼を大切にする。

禅宗は「死んだら終わり、霊など存在しない」ときっぱり。

さて 私は この三者三様の中を行ったり着たり ウロウロ
しておるが、「定命」だけは信じる。

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