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平成の虚無僧一路の日記

日本の仏教は日本独自のもの 

2014年03月03日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



中日新聞 3/1 文化欄、立川武蔵の「ブッダをたずねて」101回
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平安時代、日本独自の自分流の仏教が生まれた。
そのチャンピオンが「最澄」と「空海」。この二人は
中国やインド仏教を学びながら、日本の文化・伝統に
合うように仏教を作り替えた。今日の日本仏教には、
インド仏教の理論や実践形態は 驚くほど少ない。

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と、そこまで言い切っている。以前にも「日本の仏教の
中に、釈迦本来の仏教は、1割もない」と 聞いた。

さて、その同じページに、ドイツ人の禅僧「ネルケ無法」師が
「今仏教を問い直す」と題して寄稿している。

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「仏教なんて要らない、葬式なんか要らない」という人が
増えて、お寺の存在が危ぶまれています。では、

もし、この国から、寺も坊さんもお墓も、仏の教えも
すべてが一夜にして無くなったら・・・・・。 金閣寺も奈良の
大仏もすべて無くなったら、この国はどう変わるのでしょう。

葬式まで誰も気づかないかもしれません。その時初めて
日本人の心に、ポカーンと大きな穴が開くのではないで
しょうか。

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と問題提起。「ネルケ無法」師は曹洞宗の僧。大阪城公園で
ホームレス雲水をし、2002年、檀家ゼロの山寺の住職
となって自給自足の生活。

「釈迦が 2500年前に実践しようとしていたことを、現代に
沿った形で教えることこそ、お坊さんの使命」と。

いやはや、尺八も空手も、仏教までもが、外国人に
教えられる日本になりさがったか。この先、次号が
楽しみ。

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