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平成の虚無僧一路の日記

「慧日寺縁起」 

2014年02月23日 外部ブログ記事
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磐梯山麓の大寺に「恵日寺(えにちじ)」という寺がある。
平安時代の初め、最澄と論戦を張ったという法相宗(奈良興福寺)の
学僧「徳一」の木像と墓がある。

史実的には「徳一」の創建と思えるが、『恵日寺縁起』には
「弘法大師(空海)」の創建となっている。知名度の高い
「空海」の方が良かったからだろう。

『恵日寺縁起』によれば「当山は平城、嵯峨、淳和、白河、
四皇帝の勅願所にて、弘法大師の御開基にして、鎮護国家の
霊場なり。磐梯(いわはし)山には 魔物が住み、祟りを成すに
よって病悩山と呼ばれた。この国(会津)は、日々霧に閉ざされ、
俗に霧ケ里とも呼ばれた。大同元年(806年)月輪、更科の二荘
一夜に湖水となり、人民多く溺れ死す。悪風日々吹き、日月の
光を見ることなく、五穀実らず、万民嘆き悲しみ給い、帝都に
奏聞す。
そこで空海が使わされ、加持祈祷を行って病悩山の悪霊を鎮め、
山を磐梯(いわはし)山と改めた。

さて、この「一夜にして湖水となり、月輪、更科の二荘が水没
した」という記述から、この年「磐梯山」が噴火したという
説が横行することになった。どの本にも、ガイドブックにも
「磐梯山の噴火により」と書いてある。しかし「縁起」には
「噴火による」とは書いてない。

また、地質の調査でも、この頃に噴火があったという証拠は
認められない。「縁起」は江戸時代(寛文5年1665)の創作だが、
何か言い伝えがあったとすると、これは大地震で猪苗代湖が
陥没してできたことを記していると私は考える。

さて、『恵日縁起』では、弘法大師の後、法相宗の「得溢
(徳一)」が、天皇の勅によってこの地に来たり、大師の
後を継ぐ」としている。平安新興仏教の天台宗「弘法大師」の
後に、旧奈良仏教の法相宗「徳一」が継ぐとはおかしな話。

徳一開基だったとしても、いつの頃からか、「恵日寺」は
弘法大師空海の真言密教の寺となっている。であるから、
開祖を弘法大師にしたのであろう。

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