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平成の虚無僧一路の日記

「最澄」の論敵「徳一」 

2014年02月22日 外部ブログ記事
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中日新聞 文化欄に連載されている「ブッダをたずねて」立川武蔵。
2/22で100回となった。原始釈迦仏教は、大乗、小乗に別れ、
さらに、さまざまな宗教、民族の民間信仰などと融合して、中国、
日本で大きく変遷を遂げた。その過程を明快に論じてくれている。

第100回では、いよいよ天台宗、比叡山延暦寺の開祖「最澄」の登場。
その論敵として、奈良旧仏教界の学僧「徳一」の名が出てきた。

一般にはほとんど知られていないが、「徳一」は私の「卒論」の
テーマであった。それだけに、名前が載っただけでもうれしい。

実は、会津磐梯山麓の「慧日寺」と、会津盆地の中央にある
「勝常寺」は「徳一(とくいつ)」創建の寺と伝えられている。

慧日寺は、平安時代、七堂伽藍が並び建つ大寺院であったが、
戦国の世に伊達政宗の侵攻で消失した。その跡には、徳一の墓と
伝えられる五輪塔がある。また「勝常寺」には 平安初期の
木造薬師如来・日光菩薩・月光菩薩像など8体の仏像が伝存して
いるのである。薬師三尊は平成8年 国宝指定を受けた。

岩手県平泉の中尊寺は世界遺産にも指定され、超有名だが、
平泉より300年も遡る平安時代初期に、会津にこれだけの
仏教文化が開花していたことは、あまり知られていない。

しかも、平安時代になって起こった新興仏教である天台、
真言の徒ならわかるが、「徳一」は、旧奈良仏教の「法相宗」の
僧であった。

当然、奈良、京都に居るべき人が、草深い、陸奥の国の会津に
七堂伽藍を建て、最澄、空海に異議を唱えて論争を挑んだことが、
不思議な謎なのである。

最澄、空海は「仏性は、生きとし生けるもの、草木にいたるまで
すべてのものに(悉皆)、本来備わっている(有仏性)」と唱えたのに
対し、旧仏教の徳一は「戒律を守り、厳しい修行をしなければ
仏性は得られない。仏道修行に励まなくとも、生まれながらに
仏性は備わっているなら、誰も戒律を守らなくなり、修行も
しなくなる。そんなバカな」というのである。

実は、勝常寺の住職(宇佐美)氏は、私の母方の遠縁にあたるので、
私としては、この論争は「徳一」の方に軍配を上げたい。

ところが、現在の勝常寺は「高野山空海の真言宗豊山派」で、
湯川村では、弘法大師(空海)の創建と言い伝えており、
さらには「念仏宗」の「念仏踊り」をも伝えられていて、
無形文化財指定を受けているのである。

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