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都わすれの「「ベガルタ応援日記」

今日は夫の42回忌 (-_-;) 

2014年02月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

そんな訳で今日は自宅待機の予定ながら、娘は花音の幼稚園だと言うし・・帰っても、「私の命日」にならないように家でおとなしくしているとメールが・・


正確には昨日16日が命日と思うが、死亡診断書が「17日0時3分」になっていたから(事故は11時50分で即死の状態だったらしい)・・


41年前の今日は朝早く夫が運ばれた、仙台市立病院へ娘をおんぶしてバスで向かっていた 


死亡診断書を貰わないと今後の予定が立てられず・・だった 


交通事故で当時まだ仙台を走っていた市電の安全地帯に、まともにぶつかったのだった 


安全地帯の前には当時仙都タクシーがあり、クラクションを鳴らす車がいて配車係の人が見ている目前でぶつかったらしかった 


もう17日になっていただろう真夜中、娘を負ぶっていつもお世話になっている従姉弟の車で叔母さんと、仙台市立病院(当時は第一生命ビルのところか)へ向かい廊下に3人のスリッパの音だけ響いたが、あの音は今も頭に残る 


今のようにシートベルトがあったら死なずに済んだのだろうが、頭でフロントガラスに穴が開いていたから・・


廊下には先に会社の庶務課長さんが来られていて、頭がい骨陥没・頚椎骨折・内臓破裂と言うことだったが、顔は鼻の辺りに小さな傷が一つだった(寝台車が手配されていて、すぐに乗せられて自宅に・・途中で両親とすれ違ったらしかった) 


それから告別式が済むまで3日3晩、一睡もしなかったがまだ28歳と若かったからね 


しかしあの年は今年のように雪は全くなかったが、空っ風が半端なく寒かった 


今はやらないが自宅からお寺さんまで、花輪など持って行列して・・


昨日は雪で行けるかなぁって思ったが、一人で墓参に行った 


お寺さんのお墓の前までは歩くところがあったが、その先はいつ歩いたか分からない足跡がちょっとあった 






その先は吹き溜まりもあったりで全くもって、長靴に雪が入るところも・・

   
   



花筒が凍っているかもと金槌を持って行ったが、雪を払うものは持たずお墓の前は手で雪を払って、花とお線香をあげたが「雪で来れないからみんなの分お線香をあげて行くね」って声をかけて来た 


帰りは自分の足跡を歩いたが、途中で横滑りして前のめりに転んじゃったり・・





そう言えば震災の翌日も我が家から歩いて、お墓を確認に行ったが宮城県沖地震の時に、石が落っこちちゃって支柱を入れたから大丈夫だったが、津波の水が来たからドロドロだった 


夫の事故から10日目の26日が一歳の誕生日だった娘も、26日には42歳の誕生日を迎える(孫娘も同じ日で5歳になる)


来年は43回忌法要をしなくちゃ(父の33回忌と一緒に)、過ぎてしまえばあっという間も二度地震で家を失くしたし、色々あったが元気でいられて・・


50回忌が最後と言うが元気なら80歳前に・・・


途中で妹が来てくれてしばし「あの時は・・」って話してました 


元気でいたら私の人生は多分まるで違っていたと思うが、いないなりに私の人生を歩んでこれたのかなぁ・・幸せな人生だったとは思っている 


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