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たゆたえど、沈まず
義父の旅立ち
2014年01月27日
テーマ:テーマ無し
女房の父親が90歳で旅立った。
山林農家の長男で農閑期には長距離トラックの運転手を75歳までやっていた。
やめた途端にボケが始まった。
老いてやることがなくなり暇を持て余すと刺激の全くない里山で人にも会わないから脳の老化するスピードが早かった。
やがて昼夜の区別も自分の家であることも分からなくなり沢に落ちたり山中に徘徊して探し回ったりした。
女房も二年ほど実家に帰って手伝っていたが3年前に施設に入った。
村の施設だから入所者もほとんど顔見知り、世話を知る職員も縁のある人が多い。
家にいるより本人も楽しいことも多く家族も安心できた。
丈夫な人だったが急に元気がなくなり医者に見せた方がいいとの判断で近くの病院へ入院した。
医師の説明だと末期ガンで腹水もたまり肺にも水が溜まっているとのことだった。
点滴をさせようにもわがままだから我慢できなくて勝手にとってしまう。
家族の判断でそのまま静かに過ごしたほうがいいと決めた。
入院してからもヨーグルトなど食べていたし話もできたし苦痛もなかった。
しばらくは大丈夫と思っていたら病院から知らせが入った。
90歳、眠るが如き大往生という言葉がピッタリの最期だったようだ。
わがままなボケ老人は嫌なことは一切拒否するから診察も薬も一切拒否であった。
俺はどこも悪くない、の一言で全てかたずいていた。
私はそれが良かったと思う。
放っておけば人間は他の動物と同じように神様が決めた寿命の時を静かに迎えることができるのだと思う。
早期発見だとか言って早くから医療行為を施されていたらとても90まで好き勝手に元気には生きられまいと思う。
入院してから一週間、家族の誰もが老衰で逝くだろうと思っていたら末期ガンだった。
女房たちも親孝行であった。日本の昔の家族の姿がまだ残っていた。
義父が背中で見せてくれた人生最後の過ごし方は学ぶことが多いものだった。
トボけたいい味を出していたおじいさん、二人で一緒に食べ歩きをよくしましたね。
おじいさんのおかげで毎週のように好物の鰻丼を食べに行くことができました。
いい思い出をありがとう。
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