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平成の虚無僧一路の日記

木下恵介 『二十四の瞳』 

2014年01月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



昨年は「木下恵介」生誕100年でした。それでか、
中日新聞 12/29 日曜版『昭和その人、その時』に
「保阪正康」が書いていました。

「木下恵介・怒りが生んだ『二十四の瞳』」
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『二十四の瞳』が公開されたのは 昭和29年9月。
戦争が終わって9年。戦後の苦しみからやっと解放
されたとはいえ、朝鮮戦争、自衛隊の発足など東西
冷戦に巻き込まれるのではとの不安があったときだ。
そんなときにこの映画があらためて戦争の惨酷さを
訴えたのである。映画館は満員で、ほとんどの客が
涙を流す映画となった。
この年木下恵介は、同じく戦争批判映画『女の園』を
製作しており、日本映画賞などほとんどの賞を独占。
キネマ旬報ベストテンで黒澤明の『七人の侍』を押し
のけて1位2位を独占した。

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そう、黒澤明と木下恵介は同じ年に監督デビューし
お互いライバルだった。日本では木下の方が高い評価を
得ていたが、黒沢が海外で賞をとると、木下は影に
かくれ忘れられていった。黒澤の方は『七人の侍』
『羅生門』そして『乱』『影武者』とチャンバラで
威勢がいい。海外では「平和」より「戦い」ものの
方がうけがいいようで。


『二十四の瞳』は、「香川京子」「黒木瞳」、そして
昨年は「松下奈緒」と、たびたびリメイクされているが
いまひとつ人気に欠ける。

以前にも書きましたが、『二十四の瞳』は、国内では
大変な人気だったので、これを「カンヌ」だったか
「ヴェネツィア」だったか「国際映画祭」に出そうと
いうことになった。海外でウけるには、音楽は
「和楽器」が良いだろうということで、私の師
「堀井小二朗」に仕事が廻ってきた。そして
「大石先生が戦争で亡くなった教え子達の墓に
詣でるシーン」で 堀井小二朗が 即興的に吹いた曲が
『瞳』という曲。

『二十四の瞳』は アメリカで「ゴールデングローブ賞
外国語映画賞」を受賞し、堀井小二朗師は この一曲で
有名になった。

「瞳」に使用した尺八は、1尺4寸管。なんと師が、
箒(ほうき)の柄で作ったもの。その1尺4寸管を
私が継承し、今も『瞳』で食べさせていただいている。
モスクワ公演でもオープニングで使いました。

堀井小二朗師は、福沢諭吉の孫にあたるが、戦後一貫して
尺八だけで生活していた。当然生活は苦しかった。
どん底の中で廻ってきたのが映画音楽の仕事。

当時、1尺4寸管なんて特注だった。ちなみに、私は
「百瀬芳童」の1尺3寸管を ある事業家から
いただいたが、昭和40年で80万もしたとのこと。
今の価格で500万円 ほどでしょうか。尺八は
昔は 旦那衆の道楽でした。

「チャイコフスキー記念モスクワ音楽院」で行われた
「牧原一路尺八独演会」の模様はこちら。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

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