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平成の虚無僧一路の日記

演歌尺八の「村岡実」大往生 90歳 

2014年01月11日 外部ブログ記事
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こんな悲しいことはない。あの演歌尺八の大御所「村岡実」氏が
1月2日に亡くなられていたらしい。というのは、新聞にも
載らなかったし、ネットでも、全然掲載されていないからだ。
なんということだ、あれほどの「尺八家」が亡くなったというのに、
世間は冷たい。それが悲しい。

90歳、宮崎のご自宅で静かに亡くなられたとのこと。ご家族の
ことも、何も判らない。「村岡実」で検索しても Wikipediaにも
載っていない。

かつては名のある武士だった虚無僧が 独り、ひっそりと野に
朽ち果てたかのような最期だった。私の末路もそうか。

村岡氏は、昭和37年(1962)「村岡実、横山勝也、宮田耕八朗」の
3人で「東京尺八三重奏団」を結成。

翌年、第2回演奏会で三木稔作曲「くるだんど」を演奏したのを
契機として、昭和39(1964)年、三木稔・長澤勝俊、(作曲)
田村拓男(指揮、打楽器)、村岡実、横山勝也、宮田耕八朗(尺八)、
坂井敏子、宮本幸子(箏)、杉浦弘和(三味線)等14名で
「日本音楽集団」が結成された。

そう、「村岡実」は「日本音楽集団」の創立メンバーの一人だった。

また同年、「山本邦山、横山勝也、青木鈴慕」の3人によって
「尺八三本会」も結成されている。

そして同じ年(昭和39)、NHK・FM放送で「現代の日本音楽」という
番組がスタートし、NHKの委嘱で、私の師「堀井小二朗」と
「山川直春」共作で『竹の韻』が放送され、芸術祭文部大臣賞を
受賞した。その時の演奏にも「横山勝也」「宮田耕八朗」とともに
「村岡実」が加わっている。その時の「3人並んだ写真」を
私は保持している。

そしてそして、これも同じ昭和39年。「美空ひばり」の『柔』が
大ヒットし、第7回「日本レコード大賞」を受賞した。この曲で
「村岡実」は尺八伴奏をし、尺八は一躍、歌謡界で認められる
ことになった。

その後「村岡実」は「美空ひばり」の『柔』を皮切りに、村田秀雄、
北島三郎他、演歌歌手の伴奏で、公演に着いて廻らねばならず、
多忙になったためか、「日本音楽集団」を離脱している。
その後に入ったのが、私のもうひとりの師「古賀将之」氏。


「村岡実」は歌謡界で、演歌尺八として独壇場の地歩を確立していく。

村岡氏が吹き込んだレコードは 3,000枚以上になると言っていた。
ラジオ「永六輔の誰かとどこかで」のオープニングで『遠くへ行きたい』を
吹いているのは「村岡実」。(その番組も昨年2013年8月29日終了した)。

尺八を 大衆の耳に最も多く届けた第一人者であったはずなのに、
誰知られることなく亡くなられたことが悲しい。

「村岡実」は 80歳を過ぎて、歌謡曲やポピュラー曲を尺八本曲風に
アレンジしたCDを何枚か出された。それはすごいことだが、
もう往年の艶と輝きはなかった。それも悲しかった。

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