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平成の虚無僧一路の日記

小さな嘘はバレるが大嘘には皆騙される 

2014年01月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「法竹(ほっちく)」というのは「海童道道祖」の造語。
「普化宗管長」というのは「詐称」。「海童道道祖」のことを
「稀代の詐欺師」とまで書いたら、「海童道道祖」の信奉者は
激怒されていることでしょう。「あなたの真意を聞かせて
ください」とのコメントもいただきました。

私の真意は「海童道道祖」は「不世出の天才」であり、尺八を
世界に広めた功績は はかり知れなく「尺八界の救世主」。
その「前衛哲理」は、尺八の深奥なる真髄を明らかにして、
自らの実践で、我々に進むべき道を示してくれた。まさに
「尺八“道”」を打ちたて、切り拓いた「道祖」として
崇めるべき超人であると尊崇しております。

私自身「虚無僧」を自認していますが「虚無僧」も「詐称」です。
私が「虚無僧」というのは小さな嘘です。小さな嘘は すぐ
見破られます。「僧」と云いながら「僧ではない」と。

しかし「海童道」の「普化宗管長」という肩書きには、誰もを
納得させるものがありました。「普化の再来」と自他ともに
認める実践があったからです。「海童道道祖」は、われわれ
「道曲」に憧れる者たちにとっての目標ですが、その真似を
したところで、永遠に到達できない、他の追随を許さない
高い境地です。

そもそも「禅」と「尺八」は無関係です。「海童道」は、
日本古来(伝統)の「禅」でも「虚無僧本曲」でもない
全く別の世界といいたいのです。

日本では、「海童道」の「道曲」は吹きたいが「道祖」の後に
続こうという人はごくわずかです。私の知る限りでは、
伊那の山中でひたすら「法竹吹定(ほっちくすいじょう)」に
専念している「児玉竹坐」師しかいません。

最近になってようやく「道曲」の『手向』や『産安』などを
吹く人が増えてきましたが、私も含めて「海童道」とは
似て非なるもの。次元が違いすぎます。ただ「曲」として
譜面をなぞっているところです。「道祖」は「譜面をなぞる
吹き方は海童道とは違う」と明言しています。

日本では サッパリうけない「海童道」の「法竹吹定」が
アメリカやロシアで素直に受け入れられ、それらしく
振舞っているいる人たちがいることには驚きです。
世界は広い。「海童道」は日本を飛び出して世界に
根を張っています。「道祖」はそれだけ偉大な巨人です。

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