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「世界のスーパースターをめぐる日米の絆」 

2013年12月30日 ナビトモブログ記事
テーマ:人生

 米国人研究者らの調査によれば、2001年(昭和13年)のりんごの品種別生産量で、「ふじ」が世界一になっている。

りんごの総生産量約5,965万トンのうち、品種別生産量は、1位の「ふじ」が約1,230万トン(約21%)、2位の「デリシャス」が約930万トン(約16%)の順である。
 

 日本でのりんご「ふじ」は、海外でも「FUJI」であり、全世界で、「FUJI」で通用する。品種別生産量が世界一の「ふじ」は、今や、世界りんご界のスーパースターである。

 実は、「ふじ」は、日本一のりんご産地・津軽の生まれである。その誕生の歴史を振り返る。

? 1939年(昭和14年)、青森県南津軽郡藤崎町の農林省園芸試験場東北支場で、りんごの「国光」×「デリシャス」の交配を行い、種子が得られた。

? その23年後、1962年(昭和37年)に、「国光」×「デリシャス」の交配による実生(みしょう)が「ふじ」と命名され、リンゴ農林1号として品種登録された。

? その後、「ふじ」は、日本国内はもちろん、全世界に広まって行った。「ふじ」の命名から39年後の2001年(平成13年)、「ふじ」が生産量世界一の品種であることが確認された。

 この間、実に62年の歳月が経過したことになる。


 りんご「ふじ」が世界りんご界のスーパースターの地位を確立したゆえんの最大のポイントは、両親が「国光」と「デリシャス」であることだ。

 「ふじ」と、その親である「国光」と「デリシャス」の品種特性を以下に掲げる。

 「国光」は、大きさは200g前後と小ぶりであり、味の印象は、酸味と甘味が調和し、今のりんごに比べ、甘味が強くなく、その分酸味がきいている。肉質は、しっかりとしていて、やや硬めの印象があり、果汁は多くない。

 「デリシャス」は、大きさが300g前後であり、肉質はややち密にして、多汁で、甘みに富み、微酸で、芳香が強い。

 「ふじ」は、実が300g以上と大きめで、酸味が少なく甘みが強く、しっかりとした肉質で、果汁が多く、蜜入りのものは特に人気がある。

 これらを比べてみると、「国光」と「デリシャス」という両親のそれぞれの良いところを引き継いで「ふじ」が生まれたことがよく分かる。

 「国光」の「肉質は、しっかりとしていて、やや硬めの印象があり、果汁は多くない」という特性と、「デリシャス」の「大きさが300g前後であり、多汁で、甘みに富み、微酸で、芳香が強い」という特性がベストマッチし、「実が300g以上と大きめで、酸味が少なく甘みが強いのが特徴である。しっかりとした肉質で、果汁が多く、蜜入りのものは特に人気がある」という「ふじ」が生まれたのだ。
 
「国光」と「デリシャス」とのベストマッチがあってこその「ふじ」誕生である。

 したがって、「国光」と「デリシャス」の歴史を振り返る必要がある。
 
まず、「デリシャス」は、アメリカ生まれの品種で、全世界での生産量では、1位の「ふじ」の約1,230万トンに次いで、2位の約930万トンの生産量を誇っている。

 「デリシャス」が誕生後にアメリカの種苗会社の社長が食したとたん、「おお、これはうまい(デリシャス)!」と叫んだことで、名称が「デリシャス」に決まった。
 
「デリシャス」は、アメリカでの命名以降、世界で「デリシャス」である。もちろん、日本でも「デリシャス」だ。

 「デリシャス」は、大きさが300g前後であり、肉質はややち密にして、多汁で、甘みに富み、微酸で、芳香が強く、食味は良好である。

 「ふじ」の片方の親の「デリシャス」は、出生地のアメリカではもちろん、全世界で、主要品種として広く栽培されて今に至っている。

 しかし、もう一方の親の「国光」はそうではない。なお、「国光」は、「こっこう」と読む。

 「青森県の市販のりんごと話題のりんご」というホームページに、「国光」についての歴史が次のように書かれている。

 「国光」は、アメリカ原産であり、原名は、Ralls Janet「ラルズジャネット」という。しかし、アメリカでは、「デリシャス」と違って、主要品種になったことがない。1871年(明治4年)に日本に導入後、一時期を経て、「国光」と命名された。

 そして、ここが面白いのだが、日本でも北海道や東北で栽培に適したものの、青森県の津軽地方にかなうところはなかった。青森県の栽培技術が優れていたことによるのはもちろんだが、津軽の気候や土壌がベストマッチした。津軽における「国光」の栽培面積は、どんどん増えて、1940年 (昭和15年) には47%を占めている。

 「国光」は、大きさは200g前後で、長期保存が容易であり、味も比較的よいので、全国の果物市場では、2月末から3月以降、「国光」が随分喜ばれた。果物市場では、3月に紀州みかんを売ってしまうと、あとは売るものもなくなるので、長期保存が容易な「国光」が活躍するというわけだ。

 「国光」は、大きさは200g前後と小ぶりであり、味の印象は、酸味と甘味が調和し、というか、今のりんごに比べ、甘味が強くなく、その分酸味がきいている。肉質は、しっかりとしていて、やや硬めの印象があり、果汁は多くない。

 アメリカ原産の「国光」こと「ラルズジャネット」は、アメリカでは、主要品種にはなれなかった。しかし、明治の初めに太平洋を渡り、日本にやって来て、花開いた。

 青森県の津軽の気候や土壌がベストマッチし、青森県の優れた栽培技術と相まって、瞬く間に、日本のりんごの主要品種になった。そして、「国光」は、単なる主要品種どころか、基幹品種として、「紅玉」とともに、明治、大正、昭和にかけて100年間にわたって、日本のりんご産業を支え続けた。


 「国光」の原名の「ラルズジャネット」は、アメリカで生まれた後、アメリカではついぞ主要品種にはなれなかった。そして、太平洋を渡り、日本にやって来なければ、「ラルズジャネット」は、日の目を見ることなく、生涯を閉じたはずである。
 しかるに、日本にやって来て、津軽の気候や土壌がベストマッチし、「国光」と命名された後、青森県の優れた栽培技術と相まって、「ラルズジャネット」は、その特性を最大限に発揮し、基幹品種として日本のりんご産業を支え続けた。

 「ラルズジャネット」が日本に導入されてから40年後の1911年(明治44年) に、アメリカ生まれのりんご「デリシャス」が日本に導入された。

 津軽にやって来たことで「国光」として日の目を見た「ラルズジャネット」は、その後津軽にやって来た「デリシャス」と出会うことによって、世界りんご界のスーパースター・「ふじ」が生まれた。

 アメリカから津軽にやって来た「ラルズジャネット」・「国光」と「デリシャス」の子である「ふじ」は、両親のふるさとアメリカに錦を飾っただけでなく、全世界に導入され、スーパースターとなり、今日に至っている。

 すべては、りんご「ラルズジャネット」・「国光」と津軽との一期一会のなせる業である。

 そこに、りんごが有する壮大なロマンを観る。

 それは、同時に、世界のスーパースター「ふじ」をめぐる日米の絆の歴史に触れることでもある。

 今日は、大晦日。みなさんと共に、良い年を迎えることとしたい。



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fujiの歴史

トパーズさん

なぁるほどぉ〜。
またひとつ、お利口さんになりました。

2014/01/02 07:16:38

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