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「ようこそ、キャロライン・ケネディ駐日米大使!」 

2013年11月27日 ナビトモブログ記事
テーマ:人生

今からちょうど50年前、1963年(昭和38年)。テレビはまだまだ白黒放送だった。その年の11月23日は、祝日の勤労感謝の日で学校は休みである。

 この日は、朝からテレビの前に陣取った。日本で最初の衛星中継が行われるというのだ。今でこそ、テレビの衛星中継は日常茶飯事になってしまっているが、その当時は、衛星中継なんてできるの?という感じだった。
 アメリカでの出来事が、衛星を中継して映像が送られることにより、言わばリアルタイムで日本に届けられると聞いても半信半疑だった。

 その日の様子をネットで調べたら、1963年11月23日付け朝日新聞夕刊の記事がヒットした。以下、この記事を参照して書いていく。

 朝日新聞夕刊の見出しは、「日米間のテレビ中継成功 暗殺ニュースも生々し 劇的な悲しみを報ず」とある。

 1963年(昭和38年)11月23日午前9時、日米間のテレビ中継を伝えるNHKテレビの番組が始まった。

 「私は、毎日放送ニューヨーク駐在員の前田治郎であります。輝かしい日米テレビ中継の第2回目のテストであります。その電波にこのような悲しいニュースをお送りしなければならないのは誠に残念に思います」
 
 NHKテレビの番組であるのに、突然、民放の特派員の声が流れ、世界を揺るがす大事件を伝えた。

 「ビルの4階に潜む犯人がケネディ大統領の車を狙撃し、頭部に命中しました」

 NHKは、この日、人工衛星を使った衛星中継の初の実験放送をしていた。ケネディ米大統領の演説を録画して中継するはずだったが、ケネディ大統領は、ダラス市内を夫人と車でパレード中に狙撃され、暗殺された。

 1回目の中継は、狙撃の約2時間後、日本時間の午前5時27分。映像を送り出す米航空宇宙局(NASA)は予定を変え、地上局がある米西海岸のモハーベ砂漠の風景を送った。

 2回目の中継は、その3時間半後の午前9時からで、生中継だった。実験放送に協力した米テレビ局の関連会社、ABCインターナショナルの依頼で急きょ実現し、手元に原稿はなかった。

 手元に原稿がないままに、ぶっつけ本番で、民放の前田特派員が世紀の大事件をテレビカメラの前で語り、それがNHKテレビで流されたのだ。

 NHKテレビを観ていた日本国民に衝撃が走った。まさに、朝日新聞夕刊の見出しにある「日米間のテレビ中継成功 暗殺ニュースも生々し 劇的な悲しみを報ず」そのものであった。

 論より証拠、百聞は一見に如かず、とはこのことである。NHKテレビを観ることそれ自体で、衛星中継なんてできるの?は吹っ飛び、衛星中継の意義や威力をまざまざと知らされた。

 若き米大統領、46歳のケネディ氏と34歳の同夫人が車でパレード中に狙撃され、ケネディ大統領が暗殺されるという世界を揺るがす大事件。それがいち早く衛星中継され、日本の茶の間で目にするという現実。

 その後、ケネディ大統領暗殺事件の続報が次々と日米間で衛星中継された。

 故ケネディ米大統領の国葬が行われた場面。その日は、棺に敬礼する息子のJFKジュニアにとって3歳の誕生日。彼の隣にはお母さんのジャクリーン夫人が立つ。ジャクリーン夫人を挟んで隣に立つ娘のキャロラインちゃんは5歳で、その二日後が彼女の6歳の誕生日。

 こんなことがあるなんて。観た人の頬を涙が伝う。

 この場面を観た日本人そして全世界の人々に、この光景は、その後、焼き付いて離れない。

 
 去る11月15日午後、アメリカの故ケネディ元大統領の長女で新駐日米大使のキャロライン・ケネディさんが成田空港に到着した。

 11月19日の産経ニュースは、ネットで次のように伝える。

 キャロライン・ケネディ駐日米大使(55)が19日、皇居・宮殿「松の間」で天皇陛下にオバマ大統領からの信任状を手渡す「信任状捧呈式」に臨み、正式に大使としての活動を始めた。捧呈式を終えたケネディ大使は「この儀式をもってわたしの大使としての仕事が始まる。母国を代表することができて大変光栄に思う」と語った。

更に、同じく11月26日の産経ニュースは、「ケネディ大使『来て良かった』 被災地訪問終える」とのタイトルをつけ、次のように報じた。

 ケネディ氏は大使就任後初となる被災地訪問のため25日に宮城県を訪問、村井嘉浩知事と会談、石巻市の小学校や南三陸町の仮設住宅を訪れた。26日には岩手県入りし、陸前高田市の「奇跡の一本松」などを訪ねた。

キャロライン・ケネディ駐日米大使が日本に着任以来、連日のように、その動向がニュースで報道され、テレビのワイドショーなどを賑わしている。

 今、日本中がキャロライン・ケネディさんをめぐってフィーバーしている状況だ。
 それも無理はない。五十年前に白黒放送のテレビで釘付けになった、あのキャロラインちゃんが立派になって、日本に来ているのだもの。


 私たちは、今、キャロライン・ケネディ駐日米大使の言動を五十年前に比べれば豪華極まりないカラーテレビで観るたびに、五十年前の白黒放送テレビでのキャロラインちゃんを思い出す。

 故ケネディ米大統領の国葬が行われた場面。その日は、棺に敬礼する息子のJFKジュニアにとって3歳の誕生日。彼の隣にはお母さんのジャクリーン夫人が立つ。ジャクリーン夫人を挟んで隣に立つ娘のキャロラインちゃんは5歳で、その二日後が彼女の6歳の誕生日。

 こんなことがあるなんて。観た人の頬を涙が伝った。

 この場面を観た日本人にとって、この光景は、五十年後の今でも焼き付いて離れないのだ。

 そして、同時に、私たちは、五十年前の自分を、五十年前の昭和、貧しかったけれど、随分と幸せだった、あの頃を思い出す。畳の部屋に座り、ちゃぶだいを囲み、元気な父と母がいて、懐かしい兄弟姉妹がいる。
そこには、いがみ合うことなど無縁の、屈託なく笑い合う日本人の姿がある。

 この間、ちょうど五十年の歳月が流れた。

私たちは、五十年の時の流れに万感の思いをいたしながら、心より歓迎申し上げる。

 ようこそ、キャロライン・ケネディ駐日米大使!



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