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巨人・山口鉄也投手の挑戦に大拍手 

2013年11月16日 ナビトモブログ記事
テーマ:人生

最近のプロ野球は、投手の分業化が一段と進み、一人の投手が先発し、完投するケースは滅多にない。
 先発投手は、5回以上を投げ、交代した時点で味方のチームがリードしていると、勝利投手の権利を手にするから、5回以上投げることが目標となる。
 先発投手の降板後は、救援投手が中継ぎ、抑え(これをクローザーという)でつないでいく。中継ぎは、一人とは限らない。中継ぎ投手が二人以上というのは、珍しくなくなった。

 セーブとは、野球でリードしているチームの救援投手が試合終了までリードを守りきることでつく投手の記録である。セーブを手にするのは、抑え(クローザー)である。

 先発投手は、5回以上投げて勝利投手になり、抑えは、セーブを手にするとして、抑え以外の救援投手である中継ぎはどうしてくれるの、となる。

 そこで、中継ぎ投手を評価する記録として、ホールドという記録がある。ホールドは、「セーブがつく条件下で登板して1アウト以上奪い、そのままリードを保ちながら途中で降板した中継ぎ投手」、「同点で救援して1アウト以上奪い、点を取られずに降板した中継ぎ投手」に与えられる。

 勝利の方程式は、プロ野球にもある。プロ野球のそれは、リードしている試合で、そのリードを最後まで守りきるためにとられる救援投手(中継ぎ、抑え)の継投パターンのことを指す。継投の必勝パターンだ。

  去る11月3日、日本シリーズ第7戦で東北楽天ゴールデンイーグルスに敗れ、惜しくも日本一を楽天に譲った原ジャイアンツ。
 巨人にも、こうなれば勝ちきるという勝利の方程式がある。それは、中継ぎ投手の山口鉄也、スコット・マシソンとつなぎ、抑え(クローザー)を西村健太朗で締める継投パターンである。

 巨人の勝利の方程式の要を務める山口鉄也投手、1983年生まれの30歳。

 彼は、今年、自身が持つ記録を更新する6年連続60試合以上登板を達成するとともに、42ホールドポイント(4勝38ホールド)で3度目の最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した。
 2007年シーズンから続く通算187ホールドは、日本プロ野球記録である。
 
 山口鉄也投手は、これまで、3度の最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得したほか、2008年には新人王とゴールデン・ルーキー賞に輝くなど、押しも押されぬ日本を代表する中継ぎ投手であり、彼のプロ野球人生は、順風満帆のように見える。


 しかし、私たちは山口投手が思いのほか苦労人であることを知らなければならない。

 以下に彼の経歴を記す。

? 2002年春に神奈川県の横浜市立横浜商業高等学校を卒業。高校卒業後は、大学に進学するつもりだったが、アメリカ大リーグのアリゾナ・ダイヤモンドバックスのスカウトからの勧誘を受け、入団テストに合格してマイナー契約を締結。

? アメリカのマイナーリーグのミズーラ・オスプレイで4年間プレーしたが、シングルAにすら一度も昇格できなかったため、日本への帰国を決意。

? 2005年10月、横浜ベイスターズと東北楽天ゴールデンイーグルスの入団テストを受けたが、不合格。
最後に受けた巨人の入団テストで合格し、同年に初めて導入された育成選手ドラフトでの指名を得て巨人に育成選手として入団。

 山口投手は、高校卒業後、直に勇躍、アメリカに渡ったものの、アメリカ野球でのプレー期間中、大リーグの下のAAA(トリプルA、3A)、その下のAA(ダブルA、2A)どころか、その下のA(シングルA、1A)にも昇格できなかったというのだ。アメリカ野球で大リーグを一軍とするなら、その四軍にすら進めなかったことになる。

 しかし、山口投手は、めげなかった。おしてもだめならひいてみな。アメリカでだめなら日本があるさ。

 22歳の山口投手は、日本のプロ野球の入団テストを受けるに当たって、考えた。弱いチームは、投手力も弱いはずだから、自分は合格できるということで、横浜ベイスターズと東北楽天ゴールデンイーグルスに狙いを定めた。

 2005年のシーズン、横浜ベイスターズは、順位は3位で、69勝70敗7分、勝率.496だった。それに、自分は、横浜出身だし、落ちるわけがない。
 しかし、落ちた。

 それなら、今度は不大丈夫。なにせ、楽天は、2005年が創設後初シーズンであり、38勝97敗1分、勝率.281の断然の最下位だ。落ちるわけがない。
 しかし、今度も落ちた。

 さすがの山口投手も相当にショックだった。自分のアメリカ野球挑戦はなんだったのだろう。
 しかし、山口投手は、それでもめげなかった。おしてもだめならひいてみな。弱小チームでだめなら最強チームがあるさ。そこで、最後にというわけで、巨人の入団テストを受けた。

 結果は、合格だ。
 2005年のシーズン、巨人は、堀内恒夫監督の2年目というか、この年をもって堀内監督は解任されており、最強チームどころか、62勝80敗4分、勝率.437で5位に沈んでいた。
 それが幸いしたのかも知れない。

 巨人の入団テストに合格した山口投手は、その年に初めて導入された育成選手ドラフトでの指名を得て巨人に育成選手として入団した。

 育成選手って、なんだろう。

 育成選手とは、プロ野球12球団が支配下選手枠70人以外に獲得できる選手である。育成選手のままでは、1軍戦に出場できないが、2軍戦やオープン戦には出られる。背番号は100番以降で、最低年俸は、240万円。
 シーズン中でも、7月末までは、支配下選手登録も可能。支配下選手登録がなされれば、1軍戦に出場できる。

 山口投手の背番号は、102からスタートし、99を経て、今は47である。そして、肝心の年俸は、240万円からスタートし、昨シーズン終了後の契約更改では、100倍の2億4千万円となった。

 今年の契約更改では、山口投手は、巨人のセリーグ2連覇達成と自身3度目の最優秀中継ぎ投手のタイトル獲得があるから、格段にアップするのではないか。


 昨年の秋、現日本ハムの大谷翔平選手の高校卒業後の進路が日本中の注目を集めた。日本のプロ野球関係者の熱望を蹴って、直に大リーグ入りする可能性は十分にあった。

 そんな時、世の大人たちは、いくらなんでも高校を卒業したばかりのお兄ちゃんが単身でアメリカに渡り、アメリカ野球に挑戦するのは無謀だ、日本のプロ野球で経験と実績を積み上げてからでも遅くはない、と心配したものだ。

 だが、世の中の誰もが知らなかったが、大谷選手よりも11年前に、無謀にも単身でアメリカに渡り、アメリカ野球に挑戦したお兄ちゃんがいたのだ。今や、日本を代表する中継ぎ投手の山口鉄也投手だ。

 山口投手は、アメリカ野球で大リーグを一軍とするなら、その四軍にすら進めなかった。しかし、アメリカでの4年間におけるハングリーな経験こそがその後の山口投手を花開かせた。
 野球は、とりわけ救援投手は、度胸だ。アメリカ大陸を一人きりで渡り歩いたハングリーピッチャーの山口投手は、誰にも負けない。

 山口投手は、アメリカ野球への挑戦に踏み切る前は、大学へ進学するつもりでいた。大学生活4年間の経験の代わりに、アメリカでの4年間におけるハングリーな経験がある。
 
 人生、何事にも挑戦することが大事だ。「人生日々挑戦 」が私のモットーであり、私のブログのタイトルにもなっている。

 巨人・山口鉄也投手のプロ野球人生の軌跡に大きな拍手を送るとともに、深甚なる感謝を申し上げる次第である。




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