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平成の虚無僧一路の日記

6月中国へ 

2010年04月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



中国は行ってみたいような行きたくないような 近くて
遠い隣国だ。でも行くとしたら、これが最期のチャンス。

私の世代はまだ戦争の傷跡を背負っている。先般、NHK
で「上海〜武漢三鎮打通作戦、会津若松65連隊隊の悲劇」を
見、父たちの戦争が何だったのかを知った。

つまり、人口爆発で食料不足に悩む日本は、東南アジアから
米を輸送船で日本に運ぼうとしたが、輸送船は次々に沈められ、
米1俵日本に運ぶことができなかった。
そこで、上海からヴェトナムまでの軍用行路を確保し、陸路
輸送しようとした。そのために100万もの軍隊を中支、南支に
送り込んだのだ。会津若松65連隊は、中国軍の妨害を阻止する
べく、東の山間部を進んだ。道無き道、崖にわずか1mほどの
足場を作って物資を運ぶ。馬も人も崖から転落するか、対岸
から狙い撃ちされて次々命を落とした。結局、2,000kmを行って
帰ってきただけで、36万もの将兵が戦死した。弾に当たって
死ぬより、飢えと病いで死んでいった者の方が多かったという。

そして、それに何倍もする中国人を殺害している。日本軍の
食料は「現地調達」なのだから、100万人が移動すれば、村々
から一切の食料が奪われる。食料を求めての戦争が、より
甚大な食料難を招くという愚劣な戦争だったのだ。

さて、日本国内 47都道府県のうち、行っていない県庁所在地は
熊本市のみとなった。北海道から沖縄まで、46都道府県、慰霊の
旅が終わり、最後の慰霊の旅は中国だ。父の通った戦跡を一度
この目で見てみたい。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

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