メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

戦犯処刑 

2010年04月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



歌謡曲を検索していたのが、「蘇州夜曲」から「南京虐殺」の
映像にまで転移してくる。

「南京虐殺」は有ったのか、無かったのか。双方の動画がある。
証拠として示された映像や日記を見れば、「全く無かった」とは
言い切れないが、それさえ「無かった派」は「でっちあげだ」と
言う。

日本人が中国で行ってきた残虐行為に対して、戦後B、C級
戦犯として処刑された人は 1,000名にものぼる。政府は「天皇の
戦争責任」に及ぶことを怖れて、軍幹部の命令をひた隠しにし、
できるだけ現地の末端兵卒の恣意的な犯行によるものとした。
ここでも政府は日本国民を見捨てた。それどころか積極的に
戦犯探しに協力した。
「私は貝になりたい」のように、「(飢えに苦しむ捕虜に)
牛蒡(ごぼう)を食べさせた」「(肩こりの治療に)灸をすえて
やった」ことで、虐待として逮捕された者もいた。あわれ。

その中で、「川島芳子は生きていた!」というテレビ番組が
You-Tubeにアップされていた。「方(フォン)おばあさんに
育てられた」という孫娘が所持していた「方おばあさん」の
写真は、正に川島芳子その人。遺品の双眼鏡に刻まれた
「H.k.」のイニシャル。李香蘭の写真とレコード、
731部隊との関連を示す遺品など、川島芳子が生存していた
ことは疑いない。

美しい要人は得だ。代わりに処刑された女性はいったい誰
だったのか。下々の者は利用され、捨てられるだけで哀れ。
これも持って生まれた運命か。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

 「60代の日記」ランキングです。クリックお願いします

 ]]>

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ