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男子バレーの情けなさ 

2013年09月12日 ナビトモブログ記事
テーマ:人生


 去る9月8日の早朝、2020年オリンピックの開催都市の選考で、東京がマドリードとイスタンブールを破って開催都市に決定し、日本中が歓喜に包まれた。

 東京では、1964年以来、実に56年ぶり2回目の五輪開催だ。1972年札幌と1998年長野の冬季五輪を含め、日本で4回目の五輪開催となる。世界最大のスポーツの祭典、オリンピック。あの感動が7年後に東京にやってくるのだ。

さあ、7年後に向けて、ここからがスタートだぞ。みんなして頑張ろう、日本国民のスポーツ好きは、誰しもが意気込んだ。

 ところが、ところが、ナンタルチアだ。

 2020年オリンピックの東京開催決定で日本中が歓喜に包まれ、沸きかえっている最中にだ。9月8日の午後、男子バレーで、日本は、韓国に負け、世界選手権に出場できなくなってしまったんだと。
 日本の男子バレーは、1960年の初参加から14回連続で世界選手権出場を続けてきたが、初めて出場権を獲得できなかったのだ。よりによって、オリンピック東京開催決定のその日にだ。

 その日、バレーボール世界選手権のアジア最終予選最終日は、愛知県のパークアリーナ小牧で行われ、男子は、2勝同士が本大会の出場権をかけた一戦で、日本が韓国に0―3で敗れてしまった。しかも、1セット目は20-25、2セット目は20-25で負け、3セット目は13−25の惨敗。

 そして、聞けば聞くほど、残念無念になる。

 男子バレーの世界ランキングで、日本は19位(世界で19位と聞くだけで、そんなに弱いのって、ビックリしてしまうが、この際はそれはさておく)、韓国は23位だ。

 9月8日に対戦した韓国は、主力のムン・ソンミン選手ら5人の選手が負傷で抜けており、ベテランと若手で構成された急造チームなのだそうだ。

 しかも、試合会場がアウェーならいざ知らず、愛知県のパークアリーナ小牧というホーム。ホームもホーム、完全なホームだ。観客数の割合は、日本と韓国で9対1ぐらいだったんじゃないの。そんな完全なホームで、0―3負けだ。3セット目は13−25の負けときた。

 日本人は、世界中から絶賛されるほどに、理知的で賢い国民だから、こんなときに、暴動や略奪を起こしたり、金を返せなんて言ったりもしないが、男子バレーのオニイチャンたちよ、なんとかならなかったんだろうか。

 だって、女子バレーのオネエチャンたちは、世界ランキングが3位であり、危なげなく、世界選手権の出場権を獲得しているんだもの。

 日本人は、女子にはできるけれど、男子にはできないってことなんだろうか。
 まあ、世界ランキングの話をすれば、サッカーでも、なでしこジャパンの方がサムライブルーよりもランキングは上だけれども。しかし、サムライブルーは、来年ブラジルで開催のワールドカップに出場し、大活躍が期待されている。なのに、男子バレーは、世界選手権に出場することすらできない。えらい違いだ。


 昔は、女子バレーボールはもちろん、男子バレーボールも強かった。男子バレーは、決して女子バレーに負けていなかった。

 女子バレーは、1964年の東京が金メダル、1968年のメキシコシティが銀メダル、1972年のミュンヘンが銀メダル、1976年のモントリオールが金メダルだ。

 これに対し、男子バレーは、1964年の東京が銅メダル、1968年のメキシコシティが銀メダル、1972年のミュンヘンが金メダルだ。ホップステップジャンプよろしく、銅、銀、金のメダル獲得が続いたのだ。1976年のモントリオールは、惜しくもメダル獲得はできなかったけれど、堂々の4位だ。

 日本国民のスポーツ好きは、ミュンヘンオリンピックにおける男子バレーメンバーの勇姿を、41年経った今でも、鮮明に覚えている。
 セッター猫田、エースの大古、森田、横田、ベテランの南、中村、若手イケメンの嶋岡らの姿に万雷の拍手を送る昭和の日本国民。
 そこには、高度成長の途をひた走り、世界から、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」、「日本がナンバーワン」ともてはやされた日本の、自信に満ちた日本人の歓喜と熱狂がある。


 あんなにも強かった男子バレーボール。それが今では、オリンピックに出場することすらできない。否、今や、オリンピック出場どころか、世界選手権に出場することすらできなくなってしまった。

 男子バレーは、日本が参加をボイコットした1980年モスクワオリンピックの最終予選は、敗退だった。日本が参加していたとしても、男子バレーは出場できなかったということだ。
 この辺りから、男子バレーの凋落が始まったと言える。それでも、オリンピックに出場できているうちはまだ良かった。
 ちなみに、その後のオリンピックの成績を掲げる。1984年7位、1988年10位、1992年6位。 
 
 驚くのは、その後だ。1996年、2000年、2004年と、3大会連続して最終予選で敗退し、オリンピックに出場できなかった。

 2008年の北京五輪には、16年ぶりに、やっとのことで辛うじて出場することができたが、11位だった。11位と言っても、実態は、5戦全敗で1次リーグ敗退。五輪で1勝もできなかったのは、史上初の出来事だった。

 そして、2012年ロンドン五輪は、またまた最終予選敗退だ。 

 そうしたら、オリンピック東京開催決定の9月8日の午後、初の世界選手権予選敗退決定ときた。

 当日、男子バレーの惨敗を受け、総合スポーツサイト、スポーツナビの配信ニュースが続々と男子バレーメンバーのコメントを流した。

 そのヘッドラインは、踊る。
 越川優 「残念な結果となってしまった」
 福澤達哉「反省点を挙げたらキリがない」
 清水邦広「もう一度這い上がりたい」
 山村宏太「この負けを次に生かして」
 近藤茂 「僕らは力を出せなかった」

 「僕らは力を出せなかった」 本当にそうだろうか。力は持っていたけれど、その力を出せなかったと言いたいのだろうが、そうではない。力は持っていなかった、力不足であった。これが正解というものだろう。

 男子バレーが1992年バルセロナオリンピックに出場し、6位になった頃までは、それ以前の栄光に比べれば、見劣りはするものの、まだましだった。

 しかし、その後の20年以上の間、全く駄目になってしまった。なぜなんだろう。 

 女子バレーは、昔の栄光ほどではないにせよ、近年も立派な成績を残している。ロンドンオリンピックでも、7大会ぶりの悲願の銅メダルを獲っているのだ。

 女子にはできるけれど、男子にはできないってことなんだろうか。それならば、男子バレーは情けなさすぎる。

 しかし、そんなことはないだろう。男子バレーにおけるこの20年間の対応、若手選手の育成なり、戦術面なり、技術面なり、メンタル面なり、諸々の面での対応が、女子バレーに比べ、なっていないということだろう。

 その証拠に、男子バレーの世界ランキングを見ればいい。
 
 世界ランキングの下位チームは、12位オーストラリア、12位イラン、14位エジプト、15位チュニジア、16位中国、16位カメレオン、18位フランスと続き、日本は、19位だ。
 イラン、エジプト、チュニジア、カメレオンなんかの国の後塵を拝するなんて、元々は考えられないことだ。そんな。驚き桃の木山椒の木だ。

 男子バレーには、昔の栄光を再現するべく、真に強くなってほしい。

 そのために提案する。

 2020年オリンピック東京開催での男子バレーについてだ。もし、開催国枠で男子バレーがオリンピック東京に出場できるというのならば、それを返上してもらいたい。

 他の国々と同じく、最終予選を突破して、堂々とオリンピック東京に出場するべきだ。最終予選を敗退すれば、開催国であるにもかかわらず、オリンピック東京に出場できない。当然であり、それだけのことだ。

 開催国枠というお情けで、やっとこさオリンピック東京に出場する、そんな弱い男子バレーは見たくもない。


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