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人生日々挑戦
「時代に呼ばれた佐藤真海さん」
2013年09月11日
テーマ:人生
時代が人を呼び、人は時代に呼ばれるものだ。明治維新の礎を築いた坂本龍馬がその好例だ。
歴史を語るときに、「たら、れば」は不適切だが、あえて使わせてもらう。
坂本龍馬が実際よりも100年前に生まれていたら、明治維新が実現するのはかなり遅れただろうし、坂本龍馬が歴史に名を刻むこともなかっただろう。坂本龍馬は、女にもてて、酒好きの、土佐の郷士のおぼっちゃんで終わっただろう。
しかし、幕末の時代は、その時代を生きる坂本龍馬を呼び、坂本龍馬は時代に呼ばれた。それが明治維新に結実し、その時代の流れの先に、今日の日本がある。
去る9月8日、2020年オリンピックの開催都市の選考において、東京がマドリードとイスタンブールを破り、開催都市に決定した。
東京の勝因は、東日本大震災を踏まえ、「 復興の加速と世界への感謝」を基本概念に掲げたことであり、「復興五輪」という開催理念が切り札になった。
マドリードの開催理念は「マドリードは未来を明るくすることができる」ということらしいが、これでは、抽象的すぎる。イスタンブールの開催理念は「イスタンブールは東西の懸け橋になる」だが、とっくにグローバル化している世界において、「東西の懸け橋になる」もないだろう。
だから、東京は、「復興五輪」を強調したことで、まずは、投票権を有する100人弱のIOC委員の印象を良くすることに成功したと言える。
問題は、その先だ。印象を良くすることに成功しても、それを納得にまで高め、具体的な投票行動で東京支持を勝ち取らなければならない。
東京の最終プレゼンテーションでプレゼンターのトップで登壇したのは、佐藤真海さん、31歳。パラリンピック大会で、アテネからロンドンまで3大会連続して女子走り幅跳びの日本代表を務めた。
「私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです」
「19歳のときに私の人生は一変しました。私は陸上選手で、水泳もしていました。また、チアリーダーでもありました。そして、初めて足首に痛みを感じてから、たった数週間のうちに骨肉種により足を失ってしまいました」
「でもそれは大学に戻り、陸上に取り組むまでのことでした。私は目標を決め、それを越えることに喜びを感じ、新しい自信が生まれました」
「そして何より、私にとって大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではないということを学びました」
「私はアテネと北京のパラリンピック大会に出場しました。スポーツの力に感動させられた私は、恵まれていると感じました。2012年ロンドン大会も楽しみにしていました」
「しかし、2011年3月11日、津波が私の故郷の町を襲いました」
「自分の個人的な幸せなど、国民の深い悲しみとは比べものにもなりませんでした」
「私はいろいろな学校からメッセージを集めて故郷に持ち帰り、私自身の経験を人々に話しました。食糧も持って行きました。ほかのアスリートたちも同じことをしました。私達は一緒になってスポーツ活動を準備して、自信を取り戻すお手伝いをしました」
「そのとき初めて、私はスポーツの真の力を目の当たりにしたのです。新たな夢と笑顔を育む力。希望をもたらす力。人々を結びつける力。200人を超えるアスリートたちが、日本そして世界から、被災地におよそ1000回も足を運びながら、5万人以上の子どもたちをインスパイアしています」
「私達が目にしたものは、かつて日本では見られなかったオリンピックの価値が及ぼす力です。そして、日本が目の当たりにしたのは、これらの貴重な価値、卓越、友情、尊敬が、言葉以上の大きな力をもつということです」
佐藤真海さんは、時おり涙ぐみながらも、終始、スマイルを浮かべながら、巧みな英語でスピーチし切った。堂々たるものだ、という表現がふさわしい。
佐藤真海さんは、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県は気仙沼市の出身だという。
佐藤真海さんが語ったことを改めて以下に要約してみる。
? 19歳のときに骨肉種により足を失った私を救ったのは、スポーツの力である。
? アテネと北京のパラリンピック大会に出場し、スポーツの力に感動させられた私は、恵まれていると感じた。
? 2012年ロンドン大会も楽しみにしていた折、2011年3月11日、東日本大震災が発生し、津波が私の故郷の町を襲った。
? 私達アスリート仲間は、ボランティア活動をするとともに、一緒になってスポーツ活動を準備し、被災者が自信を取り戻す手伝いをした。
? そのとき初めて、私はスポーツの真の力を目の当たりにした。新たな夢と笑顔を育む力。希望をもたらす力。人々を結びつける力。
? 200人を超えるアスリートたちが、日本そして世界から、被災地におよそ1000回も足を運びながら、5万人以上の子どもたちをインスパイアしている。
インスパイアの部分を和訳して、再掲する。
5万人以上の子どもたちを感化し、啓発し、鼓舞し、奮い立たせ、ひらめきや刺激を与えたりしている。
? 私達が目にしたものは、かつて日本では見られなかったオリンピックの価値が及ぼすスポーツの力だ。これらの貴重な価値、卓越、友情、尊敬が、言葉以上の大きな力を持つということを目の当たりにした。
19歳の時に骨肉種により片足を失って絶望の淵に沈んだ経験があり、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県は気仙沼市の出身である佐藤真海さん。
その人から、「私を救ったのはスポーツの力であり、スポーツの力とは、新たな夢と笑顔を育む力、希望をもたらす力、人々を結びつける力でもある。更にはオリンピックの価値が及ぼすスポーツの力は、被災地の子どもから大人までを奮い立たせ、ひいては東日本大震災からの真の復興を加速させる」と言われているのだ。
オリンピックの価値が及ぼすスポーツの力を絶賛するこれ以上の説得力ある表現は、この世にはない。
佐藤真海さんにここまで言われて納得しないIOC委員はいない。ただ、IOC委員にも、さまざまな、そしていろいろなしがらみがあり、どうしてもマドリードやイスタンブールに投票しなければならないので、許してちょうだい、はある。
このようなこともあって、2020年オリンピックの開催都市の選考は、東京の圧勝に終わった。
今年は、2013年。坂本龍馬は、明治維新の前年の1867年に31歳という若さで亡くなっているから、今年は、坂本龍馬没後146年になる。明治維新からは、145年、たったの145年しか経っていないことになる。
明治の頃は、もちろん「人生五十年時代」と呼ばれた時代であった。それが、今は、既に「人生八十年時代」が定着し、この先、「人生九十年時代」が視野に入り、「人生百年時代」が夢でなくなってきつつある。こうした時代の流れからすれば、明治維新から145年には、「たった」のがつくのがふさわしい。
その今日、東日本大震災がなかりせば、オリンピック2020年の東京開催決定もなかった。
東日本大震災がなかりせば、東京の最終プレゼンテーションにおける佐藤真海さんのプレゼンターとしての登壇もなかった。
東日本大震災後という時代が、オリンピック2020年東京開催決定を呼び、2020年東京開催決定のため、佐藤真海さんを呼んだ。
まさに、時代が人を呼び、人は時代に呼ばれるものだ。
明治維新の礎を築いた坂本龍馬は、その時に31歳だったが、今年、時代に呼ばれ、東京開催を決定づけた佐藤真海さんは、31歳である。
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